春一番の花粉の日

昨日、ボランティアの仕事(DAISY)が入ってきましたので、急遽、お参りさせていただくことにしましたが、境内のお山は山肌が見えない程の花粉の中にありました。覚悟を決めて今年の「おじひ」をいただいた白木のお不動様にもお参りさせていただきました。感謝です。境内では、案の定、梅、水仙は咲き誇っていましたが、沈丁花はこれからが楽しみの様子です。そして春の花の石楠花も立派な蕾をつけていました。昨日までの風雪がまるで嘘のような南西風の吹き荒れるお山です。

 

親先生より2月は、「喜心…喜びの心であり、相手に喜んでもらえること、また人の喜びを自分の喜びとするもの。」といただきました。 

「喜心」は、道元禅師の「典座教訓」の最後に、典座(料理を司る人)の心構えとして「三心」の考え方が記されていると…。その三心とは、「喜心」、「老心」、「大心」であり、このうち、「喜心」は、他人のために事を成し、その人が苦を離れて楽を得るのを見て、己の喜びとすることであると。料理を作る人であれば、相手の美味しく食べる様子を見て、「料理を作ってよかった」と感慨に浸ることもあるものの、それだけではないと…。

 

相手の反応に喜びを感じるだけがすべてではなく、己の心に不平不満が無く、自分の職責に対して十分に敬意を払い、日々のつとめに心から邁進していることがその前提となっているうえでのことでなければならないと。つまり、食事を作らせていただけることへの感謝の念を自己の喜びとしている…その喜びが「喜心」であると…。(精進料理考/ 吉村昇洋著より抜粋)

 

昨年来の新型コロナウイルス禍にあって、中断の止む無きとなったNHK大河ドラマもやっと最終回を迎え(2月7日)、旧正月(2月12日)も過ぎ、梅花の新春を迎えようとしています。そして、新たな年のおさづけは「初心正行(しょしんしょうぎょう)」といただいております。清水のお山に初めてお世話になった頃を思いおこし、省みて、幾多のご恩に感謝し、更にはこれからも学ばせていただきたいと願うものです。思えば、新春初護摩供祈願祭での今年のおみくじは「白木堂」でしたが、足腰の弱っているところには、全く有難いお慈悲であろうかと、嬉しく、これもまた感謝しております。奥之院まで登れていた頃があったのだということを思い出し、リハビリを兼ねてお参りさせていただくことを今年の目標にしたいものと改めて思う次第です。

新型コロナウイルス感染症は、いよいよ医療従事の方々へのワクチン接種が始まりましたが、副作用などの心配が少なく、コロナ禍の早期撲滅に繋がりますことを強く祈願するものです。そして、新薬や更なるワクチンの開発などに英知を集めて頑張って頂きたく願うものです。

(合掌)

管理人

真っ白な清々しい新春初護摩供祈願祭

  

十数年に一度という大寒波に喜んでいるのは新型コロナくらいのものでしょうか…。今年の新春初護摩供祈願祭は、雪の真っ白な清々しさや、信徒会館の50センチを超える氷柱(ツララ)に、身を引き締めさせてくれました。雪のためにお参りできない方もあり、三密をさけるためには好都合でありましたが、護摩祈願の委託が増えますと会場では寂しく感じてしまいます。これもコロナの時代の対処法なのかもしれません。一方では地球温暖化が進行していますが、その氷の下からは、更なる未知のウイルスが出現し、その挑戦を受けるかもしれないのではないかと…。私たち…人間と言う生き物…は、もっともっと慎ましく、自然と融合し、すべての生命を大切に生きることが求められているように感じます。

  

親先生より令和3年1月は、「命…どんなものにも命があると感じられたら、それはきっとあなたが素敵なひとだから。」といただきました。 命といえば、食べ物、住まいなど建材、もうすぐ香り立つ梅の花など生活の隅々で恩恵に預かっています。また、身の回りには、男の子達が大好きな昆虫や、ペットとしての動物たちもいます。

食べ物は、野菜にしても肉、魚にしても、夫々の「命」を食べなければ生きられない…人間。そこで、私たちは「命をいただくこと」であるから、「いただきます」と言いますが、それだけで良いのでしょうか? 仏教には5つの戒めがあり、1番目は「不殺生戒」があり(2番目以降、不偸盗戒(盗みをしない)、不邪淫戒(淫らな性のあり方)、不妄語戒(嘘をつかない)、不飮酒戒(お酒を飲み過ぎないがある)、不殺生については「生き物を殺してはいけない」し、「殺させてもいけない」とあります。

すべての者は暴力におびえる。 すべての生き物にとっていのちは愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。(ダンマパダ(法句経)130)

「不殺生戒」を守って「生き物を殺さない」、「生き物を殺させない」更に「生き物を生かす」と考えると、食べ物を大切にし、無駄に廃棄したりせず、また、動物の皮で作られた鞄、衣服などは大切に使い、住居など生活を通して、命を大切にする…こうすることと共にいただいた命に感謝したいものです。

仏教にはいただいた命をもとに、他の人などに分かち合うという「布施」の考え方があると…。 布施は、菩薩の修める道とされている六波羅蜜(法)の一つであり、その「布施波羅蜜」には、お金がなくてもできる「無財施」があると…。与えてあげるのではなく、さしあげる、感謝の気持ちで行うもので、「眼施(やさしいまなざし)」、「和顔施(なごやかな表情)」、「言辞施(あたたかい言葉)」、「身施(礼儀正しいふるまいによる布施)」、「心施(あたたかい心)」、「床座施(席を譲ること)」、「房舎施(家に招きもてなす心)」などがあると…。いずれも、これならできそうと思われるものです。(お釈迦様の知恵袋より抜粋) 「いただきます」の言葉に合せて、こうしたおこないとともに感謝の気持ちが伴っていることが大切であると思うものです。

   

新型コロナウイルス感染症は、いよいよ第3波が猛威をふるっていますが、撲滅のために努力されている関係者の皆様にはこれまでにもまして心から応援させていただきたいものです。そして、新薬やワクチンの開発、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願って祈願するものです。

(合掌)

管理人

穏やかな一日・御礼清掃の日

昨日は、今年一年の御礼清掃日でした。来週の寒波襲来予報を前にして、驚くほど暖かく、雲は多めながら、穏やかなお行日和でした。境内のお山は、すっかり冬色に変わっていますが、本堂の周りなど、今年の見納めと、銀杏が最後の葉を落とし、紅葉が黄や赤に色付く様は、例え難い美しさでした。特筆すべきは大木となった黒松の枝葉の剪定でしょうか、信徒会館の昔の姿を思い出させる石庭の出現に大変驚いたものでした。

 

親先生から12月は、「今日の後に今日はなし」といただきました。手元の広辞苑には、「今日という日は再び訪れることはない。だから、今日出来ることは今日片付けるようにとの戒め」とあります。類義語として「歳月人を待たず」、「盛年重ねてきたらず」などがあると。英訳は「Never put off till tomorrow what you can do today」…。良く耳にすることわざですが、日々、一日一日を大切にそして感謝していただろうかと、ハッとさせられます。今年は、新型コロナウイルス感染症で大変な一年でした。毎日を新型コロナウイルス禍の終息祈願に始終したことでしたが、祈りきれたのでしょうか?

 

年齢からすると、今日のことを言う前に「お迎えはいつ?」となりそうですが、年齢相応に「今を精一杯生きる」としたいものです。寂聴さんの「寂聴仏教塾」には、中国の曹洞宗の祖師・洞山和尚の逸話がありました。とある僧が「一言でお答えください。いかなるか、これ清浄法身」と問うに、「われ、常に、ここにおいて切なり」と答えたと…。清浄法身とは、生きた仏ということ。つまりどうすれば悟りを開けるか聞いたところ、和尚は「常に、ここにおいて切なり」と答えたと…。切とは、切っても切れないこと、今、自分がしていることに没頭し切ることだと…。食べる時も切に食べる。眠る時には切に眠る。学ぶ時も切、愛する時も切であれと…。死後のことを思い煩うな。今、生きているこの一瞬を切に生きれば、それでいいということ。そうすれば、死を恐れることもない。やがて来るかもしれない別離におびえることもない。地獄行きか、浄土行きかを心配する必要もない。いつ心臓が止まっても、悔いることがない…と。そして、この一瞬一瞬を切に生きる…最高の人生ではないかと…。

  

最近、体調不良に見舞われ、親先生のお言葉が現実味を帯びてしまうことが多くなりつつあり、今月もその事例のひとつです。今を切に生きたいものと思い、そして出来れば、皆さんにご恩返しというささやかなプレゼントなんか出来たらどんなにいいだろうと…。少しでも、人のために尽くすことが出来れば、それこそ生きる幸せではないかと思うものではあるのですが…。

 

新型コロナウイルス感染症は、いよい第3波が猛威をふるいつつありますが、撲滅のために努力されている関係者の皆様にはこれまでにもまして心から応援させていただきたいものです。そして、新薬やワクチンの開発、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願って祈願するものです。

(合掌)

管理人

秋らしい中でのご恩日

昨日までの異常な暑さの夏日から、一転、木枯らしに冬らしさを感じることでした。そして近隣では既に落葉している銀杏や紅葉がいまだ緑色を残していることに驚かされます。親先生のお話しからは、この境内(堂床山)が遠い昔(約1400年前と言われている)山体崩壊して、最大10メートルを超える巨岩の海を形成し、その巨岩の間を清水が流れて(地名ともなっている)いるため、夏は涼しく、冬は比較的暖かい山懐となっているためではないかと考えていらっしゃるようでした。今日のご恩日法要は位牌堂でしたが、近くに、鏡が吊り下げられていて、聞けば、お猿対策に効果があるそうです。今のところ被害の方は、イノシシ、サルですが、これ以上増えないよう祈ることばかりです。

 

親先生から11月は、「永遠に生きるように学べ、明日、死ぬかのように生きろ」( Learn as if you will live forever, live as if you will die tomorrow )といただきました。 これは、インド独立の父、マハトマ・ガンジー( Mahatma Gandhi /マハトマは、「偉大なる魂」という意味)、本名は モーハンダース・カラムチャンド・ガンジー = Mohandas Karamchand Gandhi )の言葉であるとのこと。私流で言わせていただくと、「生きている限り学び続けなさい。そして毎日を生涯最後の一日であるとして悔いの残らないよう最善に生きなさい」とおっしゃっていると思うもの。

 

比叡山で千日回峰行を達成された天台宗酒井雄哉阿闍梨の「一日一生(続)」にも、これと同じような話がありました。それは、お行の心得として、千日回峰行のなかでの思いをまとめておられました。毎日を精一杯頑張ってその日を終えた自分、今日の自分はそこで終わったんだと思う、次の日は新しい自分が生まれてきて新しい一日を生きるんだと思う、その繰り返しなんだと思いなさいと…。そして新しい一日を迎えることが出来てありがとうございましたと、ご先祖様、仏様への感謝の気持ちを忘れないで、「今日もまた新しく始まった一日を頑張りましょう」との思いで生きる一日であると…。

人は誰も、生まれた時から命をいただいて、仏様の世界から見れば人生に借りが出来ていると…。そして、生きていることに感謝し、いただいた大切な命を苦難から救い、更に磨きをかけるべく学ぶ努力をする、それは生きている限り高みを目指すことを続けること、その積み重ねによって自分の人生にお返しすることができる「一日一日」でありたいと…。自分の命もいずれは死を迎えるが、その瞬間まで、精一杯生きることであると…。

 

先日、ボランティアさせて戴いている施設の所長さんに久し振りにお逢いしました。一旦は定年退職されたお身体でしたが、世の中が必要としている人には休みなど無いもので、既に仕事に復帰されていて、血液の病を克服されてのご努力に頭のさがる思いでした。私の場合は、65歳で難病と決められて退職したものでしたが、お陰様で病の進行が極めて遅く、経験を活かしたボランティア、生涯学習としての写経、写仏、そして、このようにブログまで書かせていただけることに喜びを感じ、学ばせて戴ける一日一日に心から感謝するものです。学びたい心が病を押し止めているとも感じてしまいます。今更の(反省ばかりの)人生ではありますが、出来ることからお行させて戴きたくお願いするものです。

新型コロナウイルス撲滅のために努力されている関係者の皆様には心から応援させていただきたいものです。そして、新薬やワクチンの開発、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願って祈願するものです。また、今年は日本近海の海水温の高いこと著しいとか、ラニーニャ現象が寒い冬を告げているとか、ともかくも被害無きよう重ねて祈願するものです。

(合掌)

管理人

 

 

境内に秋を感じて

都合がつかず、急遽、先の日曜日にお参りさせていただきました。一昨日には位牌堂周辺に猿集団(20匹余り)が出没したとのことですが、お山の栗や椎の実を食べに来ている模様です。柿の木は橙色や赤い実を付け、お山全体が黄色くなりつつあると感じられました。猛暑の夏から一気に秋が過ぎ去ろうとしていると感じました。今年からは新型コロナウイルス禍との長い共生が始まるとも言われています由、智慧と忍耐で新しい暮らし方を工夫し、より良くしたいものです。

 

親先生から10月は、「他人に教えるとおりに自分でも行え」といただきました。これはお釈迦様の言葉を集めた「ダンマパダ」(真理のことば/漢訳[法句経])に出てくるお釈迦様の教えで、次のようなものであると…。

  1. 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことがないであろう。
  2. 他人に教えるとおりに、自分でも行え――。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであろう。自己は実に制し難い。
  3. 自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。

(ブッダの心理のことば・感興のことば/ 中村元訳/ 岩波文庫より)

 

最初に「まず自分をととのえ…次いで他人を教えよ…」です。まずは生業を持ち、毎日を常に自分に厳しくして自分をととのえておく…と言いうことでしょう。全く何も調えていないという場合、困ったことになりますが、それでも失敗の経験は年の数以上にあるので、その失敗談でも利用して注意喚起してみることくらいは出来るのではないかと…。

そして「他人に教えるとおり自分でも行え…」とあります。自分でも行うには、己を抑制することが求められ、非常に難しいこと…。ある人の生い立ちは、小さい時から、掃除、洗濯、料理などさせられ辛い毎日だったそうですが、大人になってみると他人には出来ないことが何の苦も無くできていて、今では厳しかった祖父に感謝しているそうです。お釈迦様の弟子の一人が身の周りの世話をしていて、一つ一つの作業の中にも修行があると気づいたそうであります。一つ一つの作業は、みんな仏道に通じていて、その修行の積み重ねが、完全ではないにしても、少しずつ、自己をととのえていくのではないかと…。

最期に「自己こそ自己の主である。他人がどうして(自分の)主とであろうか?自己をよく整えたならば、得難き主を得る。」とありますが、自己をととのえることは大変難しい、完全に抑制するなど不可能であると…。この自己をととのえるについて、子どもの頃には望むままに自由にすることが出来ていた自己が、大人になると、他との摩擦を防ぐため、自己を厳しく抑制しなければならなくなる…。自己を良くととのえたとき、それは無我の境地ではないかとも思うもの…。

 

日々の暮らしの中では、己に厳しくあること、そして感謝を忘れないでいたいもの…。京都山科に、六万行願を行う (一燈園) があります。その研修は、無所有奉仕というもので、バケツと雑巾のみで、街に繰り出し、トイレ掃除などをさせていただく修行だとか。民家を回って頭を垂れ、もしくは土下座して「トイレ掃除をさせてください」と懇願する、その時の無我の心と「トイレ掃除をさせていただけた」感謝の心は、社会人としての「気づき」を与えてくれると。《六万行願とは、礼拝(おがむ)、下座(へりくだる)、奉仕(ささげる)、慰撫(なぐさめる)、懺悔(あやまる)、行乞(許されて生きる)とのこと。》今月は難しいお言葉で、凡夫にはどうにも遠い目標でしたが、今後とも少しずつお行させていただきたい、少しでも近づくように頑張りたいと思うものです。

新型コロナウイルス撲滅のために努力されている関係者の皆様には心から応援させていただきたい。そして、新薬やワクチンの開発、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願って祈願するものです。

(合掌)

管理人

 

爽やかな秋晴れの御恩日法要

台風10号の通過以来、予想に反して涼やかな秋の高気圧に覆われた日々が続いております。朝晩など寒さを感じるこの頃です。台風通過に伴って海水が掻き混ぜられ、表面海水温が予想以上に下がっているとか、これで、台風そのものが安心の方向を辿ってくれることを願うものです。今日の境内は、高い空に吸い込まれたくなる心地よさがあふれていました。

 

親先生の9月のお言葉は、「実るほど頭の下がる稲穂かな」です。稲の穂が熟してくると穂先が低く下がり頭を下げますが、例えて、人は行じて徳を積むほどに頭は低くなり謙虚になっていくものとの戒めであると。 類義語として四字熟語に「和光同塵」があるとのこと。 仏様が教えを知らない衆生のため、自身の智徳の光を包み隠して、俗世間に交わり、衆生を救済されたことを表現していると。 自分の才能や徳を隠し、世の中に深く交わり、謙虚に暮らしている様子をあらわすものであると。 

 

この熟語は老聃(ろうたん)という人が書いたと言われる「老子」四にあり、その老聃のところに若き日の孔子が訪ねてきた時、その負けん気むき出しの態度を見て、「良賈深蔵若虚〈良賈(りょうこ: 良い商い)は深く蔵して虚しきがごとく〉、君子盛徳容貌若愚〈君子は盛徳(せいとく)あるも容貌(ようぼう)愚かなるがごとし〉」言ったと。すなわち「良い商人は深く収蔵して商品がないかのように見せ、君子は高い徳があっても容貌は愚か者に見える」と戒めたと。 

「聡明で洞察力に富んでいながら、死の危険にさらされる人がいるが、それは他人を批判し過ぎるからである。雄弁かつ博識でありながら、その身を危うくする人がいるが、それは他人の悪をあばくからである。くれぐれも、自己主張は、謙虚で控え目に振る舞え」と言ったと。そして、卑屈にならないくらいにしておくがよいと。 (中国古典四字熟語/守屋洋著)

 

ブロクを書きつつ思うことです。老い先は短くも、頭の下がるほどに実が入っているかどうか、空(シイラ)のモミガラばかりが寄り合ってピンと立つ稲穂にならぬよう、今からでも多少ともお行させていただきたく思うものです。そして、新型コロナウイルス撲滅のために努力されている関係者の皆様には心から応援させていただきたいものです。そして、新薬やワクチンの開発、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願って祈願するものです。また、少し低めになったとは言っても、今年の日本近海の海水温は高いことには変わりなく、台風の被害無きよう重ねて祈願するものです。

(合掌)

管理人

 

猛暑が吹き飛ぶ雨のはずが・・・

連日の猛暑が初めて曇り空に変わった一日でした。時折ゴロゴロと雷鳴も響きわたってはいましたが、雨はパラパラと通り過ぎ、お湿りも置いて行ってはくれませんでした。沖縄付近には台風がありますが、遠慮して西の端を北上する模様だとか…。今暫く、猛暑の中での新型コロナウイルス対策が続きそうです。頑張りましょう!!!

 

8月、親先生からのいただきものは「家庭は心と心が触れ合うところ」…です。日々訊ねて来られる方々の悩み相談を受け、心を込めて聴いておられる親先生なればこその言葉ではないかと思うものです。

 

「名僧いんたびゅー」(産経新聞社編)に、延暦寺253世座主山田恵諦師の記事がありました。折しも「新型コロナ」で大不況の時代ですが、師は、好景気の時、人は周りばかり見ているが、不況になると小さく暮らす姿を家庭に置くようになると。そこで、この機を家庭を見直す時として、実行することであると。父親が家庭で食事を摂るのも久し振りならば、親子の対話が復活しているのではないかと。子ども達には、ごく普通のことを教えてほしいと。それは、先祖があって親があり、自分が今あるということ。この世には人間の力だけが働いているのではなく、神や仏の力、ご先祖様の努力のお陰であり、日々の感謝を忘れないこと。玄関の花は綺麗でも、お仏壇の花が枯れているような家は危ういと。

「利己忘他」の考えが蔓延している現代、自分だけが良ければいい…ではいけない。「因果縁」と言いますが、因果、つまり原因と結果の間には「縁」というものがあると。己の因と他の縁との共同力によって世の中のものは生じていると。この世の生きとし生けるものはお互いを生かし合っていると。皆のお陰様で生かされていると。

 

お陰様で、写仏の一枚がほぼ完成しました。リハビリを見守ってくれている、そして、次に進むべくやる気いっぱいに気持ちを引き立ててくれている家族に感謝しつつ、また、新型コロナウイルス終息のため、新薬やワクチンの開発、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願って祈願するものです。

(合掌)

管理人

新型コロナ終息を願う~盂蘭盆施餓鬼法要~

7月最後の日曜日、梅雨明け間近の頃は各地で豪雨被害が発生する頃ですが、幸いにも曇ったままにやり過ごせそうな一日と…。今日は、盂蘭盆施餓鬼法要の厳修の日、新型コロナウイルス対策のため、お参りされる方には、除菌、体温測定、密を避ける、換気を行うなど諸準備から進めていただく方々には大変なご苦労であったと窺うことができました。それでも、百万遍供養の大数珠は、アルコール消毒してあるとはいえ、全員が数珠を手にするため、どうしても密な状態となってしまいましたが、皆さん、汗を我慢してのマスク着用で切り抜けておられました。

 

親先生のご法話は、盂蘭盆施餓鬼秘法会についてのお話しでした。例年、この日の案内は、ハガキで行っておられましたが、それではお参りに来られる方々には盂蘭盆施餓鬼について良くわからないままお参りされているのではないかと、今年は、封書にして、盂蘭盆施餓鬼の何かを説明するものにしたいとのこと…。

 

まずは盂蘭盆(お盆のこと)のこと、お釈迦様の高弟・目連尊者が慈愛深く育てていただいたお母様がどのようにされているか、ひと目見ようと、神通力を使って覗いてみると、餓鬼道に落ちて苦しんでいることを知りお釈迦様に相談され、その教えに従い、祭壇を設け、雨期が終わる頃に修行を終えられた、三宝(仏・法・僧)に供養し、お母様を救うことができたと。 また、お釈迦様の高弟・阿難尊者が瞑想をしているとき、焔口餓鬼が現れて「お前は3日のうちに死ぬ」と言って修行の妨げをしたそうです。阿難尊者がお釈迦様に相談すると、餓鬼道に落ちた無縁の仏様に施餓鬼するための秘法を教えられたそうです。そして有縁無縁の一切精霊に布施して供養させていただいているとのこと。

 

 ~盆はうれしや 別れた人も 晴れてこの世に 会いにくる~

親先生には、盂蘭盆施餓鬼の前日、同級生でもあり、当山本堂を建立された宮大工さん(52歳で早世された)が、夢枕に立たれたそうですが、私も、当日帰宅してみますと、同期の友人からの、それは久し振りの嬉しいメールが届いていました。他方、パーキンソンと戦っている身ではありますが、写仏の通信教育も2年待っていただいて助けられ、嬉しい頑張りを続けられそうな日々に感謝しております。そして、新型コロナウイルス終息のため、新薬やワクチンの開発など新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願って祈願するものです。

(合掌)

管理人       

雨もなく暑さもなく御行清掃

今日は恒例の御行清掃です。日頃の感謝を込めて思いっ切り綺麗にしたいところですが、あいにく体調がすぐれず、階段の落ち葉を掃き集める程度が精一杯、奥の院からの参道の手直しされているお同行様に感謝しつつも、情けない始末となってしまいました。それでも、大雨の予報が徐々に変化し、当日は、曇りの天候となって、皆さん、お不動様に感謝されたであろうと思う一日でした。今日は、梅雨の花に加えて柿の木の幹に風蘭の白い花を始めて拝見するという嬉しい出来ごとがありました。ご縁に感謝です。

 

親先生から7月は、「堪忍は一生の宝」といただいております。「堪忍」は苦難を耐え忍という意味で用いられ、雑阿含経を始め多くの用例がある(岩波仏教辞典)と…。この「堪忍」の徳は得難い利益をもたらすものであり、一生の宝として大切にすべき」であると…。 お釈迦様は、「敵意ある人々の中にあって、自ら敵意を抱くことなく、幸せに生きること」(インド: ウダーナヴァルガ30.47)、と言っておられます。私たちは様々なしがらみの中で生きていて、殴られたら殴り返せというのが普通ですが、仏典では、自分だけは敵意を抱くな、と説いています。素朴な感情として、そんな馬鹿な、と反発する。しかし、その心を転換しなければ心の安らぎは得られませんよ、幸せにはなれませんよ…と、お釈迦様は言っておられます。(仏教名言辞典より)

 

話しは遠く15年前のNHKラジオのテキスト「般若心経を語る・松原哲明師」になります。 般若心経冒頭の部分には「…照見五蘊皆空 度一切苦厄…」とあり、すべてのものは空であり移ろい変わっていくということを見極めなければならない。物にこだわることから生じる苦しみや災いは全て乗り越えることができる…と。 ある製薬会社の営業マンのお話しですが、当時の世相を反映して成果主義の会社は、土下座してもノルマ達成だったそうです。 ある時、その製品を服用しての副作用で出血があったとクレームが入り、主治医、患者さんを訪問、すると、「副作用は我慢するから、その薬を続けたい」との訴えがありました。血管が詰まり、脚を切断することを避けたいとの理由でした。その時、初めて、治療に献身的なドクターと藁にもすがりたい患者さんの思いを知りました。その日から、患者さんのアドバイザーとして営業すると誓い、必死で勉強し、「君のおかげで助かった」と主治医から感謝され、仕事への考え方、人生観を変える大きな転機になったとのことです。人それぞれに苦しみがあり、それは他人からみれば些細なことであっても、本人にしてみれば死ぬか生きるかの問題ということもあります。それは過去を引きずって無心になれない自分がいるからだと…。すべてが空と説かれています。堪忍も容易くなるのではないかと…。時はまさに新型コロナウイルスとの戦いの最中です。ツワモノ医療関係者の活躍あれ……。

 

新型コロナウイルス撲滅のために努力されている関係者の皆様には心から応援させていただきたいもの。そして、新薬やワクチンの開発、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願うものです。

(合掌)

管理人

梅雨の晴れ間のご恩日

久し振りのご恩日法要でした。境内のお山は梅雨の空気に包まれて緑濃くむっくりとしています。麓には合歓の木の花が広がり、本堂にはクチナシが真っ白い花を付けています。 結願の百万遍で使用する数珠は、アルコール除菌され、新型コロナウイルス対策に手を尽くしておられました。また、ご法話でも、新型コロナウイルスの終息に向けて心をひとつにして祈るため、宗祖上人さまのご示寂の時刻(亡くなられた時刻)の午前10時20分に合せ「宗祖上人様ご宝号(南無覚恵上人大菩薩)を7回、そして新型コロナウイルスの終息を願う言葉を唱えましょう」と呼びかけられました。不安な世相ではあっても、みんなが、世界中の人々が安らぐようにしたいものとのこと…。

 

親先生から6月は、「常が大事」といただいております。

「常(つね)」とは、ふだん、平素といいますか空気のように流れて行くもののように感じます。曹洞宗朝日大岳師の「気持ちがほっとする禅のことば」には「一行三昧」という言葉があります。中国第六禅祖慧能禅師の説法をまとめられた「六祖壇経」にあることばで、心に雑念を起こさず、ひたすら修行(座禅) することを言うそうです。一行三昧は「不退転の心」や「決定心」とは、ほんの少し違っていて、「狎(な)れない」、「わき見をしない」ことだそうです。つまり「初心忘れず」の状態を「常」として続けていることであると。

 (注): 「狎(な)れ」とは、手の甲に唾を落として犬に舐めさせると舐めた犬は二度と吠えなくなることから出来た漢字であるとのこと。

 

難しいことや困難なことを「一行三昧」するのではなく、明るい挨拶をする、荒いことばは使わない、お料理は全部よく食べよう、履物は揃えて置こう、約束はきちんと守ろう、子ども達には優しくしよう、「ありがとう」・「おかげさま」・「すみません」がいつでもいえるようになろう。そう思うことが大事、思ったら続けることが「一行三昧」であると。

「常」は、「いつもどおり」とも読めますが、心をいつもどおりに保ちたい時もある。その時は、心に平常心を育てています。これから始まる大一番勝負の直前に、大切なことは、「常」を保つこと、それは、「いつもどおり」にすること…、般若心経のお勤め…、そしてストレッチ…、ともかくも、「常…、いつもどおり」であると。

 

「常が大事」とは、お勤めであり、ご縁であり、お同行さまであり、ご近所さまであり、諸々の日常であると感じます。忘れることなく出来ていれば先ずはよしとしたいものですが、なかなかに難しいものと…。

そして、決して常とならぬように新薬やワクチンの開発が待たれる新型コロナウイルス禍ですが、その一日も早い終息を強く願うものです。

(合掌)

管理人