遅くなりました…令和6年11月のブログ

親先生より、11月は、「破顔微笑」(はがんみしょう)『顔をほころばせて、にっこり笑う』、といただきました。(秋月 龍民(Akizuki ryoumin)著・「無門関を読む」より)

  

世尊は、昔、霊鷲山(りょうじゅせん)の集会で、華を取ってみんなに示されました。そのとき、みんなは黙っていましたが、ただ迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)おひとりだけが、にっこり微笑(みしょう)されました。そして、世尊は言われました。

「私に正法眼蔵(しょうほうげんぞう)・涅槃妙心(ねはんみょうしん)・実相無相(じっそうむそう)という微妙(みみょう)の法門がある。不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん)というやり方で魔訶(まか)迦葉に付(わた)した。迦葉、嘱(たの)んだぞ」

世尊(シャーキャムニ・ブッダ)は、むかし、霊鷲山の集まりで、一枝の花を取り上げて、大衆の面前に示されました。そのとき、人間天上八万四千の大衆は、せきとして声なく、みな黙然(もくねん)としているだけでした。ただ迦葉尊者がおひとり、それを見てにっこり微笑されました。世尊は言われました。「私に正法眼蔵・涅槃妙心・実相無相という微妙の法門(おしえ)がある。不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうがいべつでん)という仕方で、私は今これを魔訶迦葉に付嘱した。  

注) 拈華微笑は、お釈迦様のなされたことが、拈華(つぼみをつまむ)であったと、そして、迦葉尊者は、それに答えて「破顔微笑」されたのでしょう……。

  

本文は、禅の起源といわれる有名な公案で、「四十九年、未顯真実」、きょうこそこれまで、四十余年の説法で顕(あらわ)さなかった、とっておきの説法をするとのことで、どんなにか奇特な教えがあるのかと期待して待ち望んでいた大衆の面前にその日の大梵天王(だいぼんてんおう)という在家の信者が供養した一枝の金波羅華(こんぱらず/蓮の花の一種)を世尊は黙ってただスっと示されました。皆様には、すでに天龍「一指頭の禅」でおなじみのところであり、見抜かれたこととぞんじます。その「拈華」の端的に「正法眼蔵・涅槃妙心」そのまま全体露現であることを皆さま見抜かれたことでしょう。そのときの世尊の「拈華」を、ひとり迦葉尊者だけが、にっこり「微笑」して受け止められたのでした。

唯仏与仏――ただ仏と仏――両鏡相対(りょうきょうあいたい)して中心影像(ようぞう)なしです。

このようにしてはじめて大法は、師から弟子へと相続されるのでした。そのとき文字を立てず、教えの外に別に伝える(教外別伝)という「以心伝心」というやり方で、いま法を迦葉に付した迦葉よ、嘱んだぞ、と言った釈尊でありました。

これ以後、伝統の禅の印可のあり方は、師は、ただ弟子が自分と同じ境涯に到達したときに、「そこだ」と、そのことを証明するだけなのです。禅は「仏心宗」と称し、「仏教の総府」と言います。釈尊から迦葉へ、迦葉から阿難(あなん)へと「仏心」を伝え、西天の四七すなわち達磨大使は初祖迦葉尊者から、四・七=二十八番目の祖師であり、そして東土の初祖達磨から、慧可(えか)へ、慧可(えか)から僧璨(そうさん)へ……と、東土の二・三すなわち達磨大師から六代目の六祖慧能(えのう)禅師にいたって、ほんとうに中国化した禅となったと、あります。

今日の学者は、釈尊の仏法をいわゆる原始経典の中にだけ探ろうとします。そして禅宗などは、釈尊の根本仏教から見れば、はなはだしく変容されたものだと言うと……。しかし、大乗仏教が「非仏説」であろうとなかろうと、こうして人から人へ、仏から仏へと伝えてきた「人法(にんぽう)」をどうして文献以下に見て良いものでしょうか。長い歴史の変容発展があることは事実でしょう。しかし、長い歴史を貫いて、人から人へと伝えられた釈尊の「正法眼蔵(正しい真理を見る眼))・涅槃妙心(不生不滅の悟りの心)」、そこにこそ仏教の仏教たるゆえんがある、……と。

  

無門は評して言う――

 黄色い顔をしたゴータマは、人もなげなふるまいをして、良民を圧(おと)しめて奴隷にし、羊の頭を店頭にかけて犬の肉を売るような、インチキをされた。どんな奇特な説法をされるかと思っていたのに、【なんだ、こんなことか。】例えば、あのとき、迦葉(かしょう)だけでなく、大衆がみんな笑ったとしたら、正法眼蔵はいったいどのように伝授したのか。【あのとき、迦葉が笑ったから良かったが】、もし迦葉が笑わなかったら、正法眼蔵はいったいどのように伝授したのか。もし正法眼蔵なるものが、伝授されるものなら、黄色い顔をした爺さん(釈尊)は、【純朴な】村里の人々をたぶらかしたことになるし、また、もし、正法眼蔵に伝授はないというなら、なぜ、迦葉ひとりだけを印可したのか。

無門は頌っていう——

  花とりあげて、しっぽが見えた。 迦葉の微笑、人・天、 処置なしだ。(以下、略)

 

(合掌)

(管理人)

 

 

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