「令和」初めてのご恩日

皐月のお山は新緑に輝いて「令和」の時代をたたえているように感じます。遠く近く鳥たちがさえずり、若葉を揺らす涼風がたまらなく頬に心地よいものでした。若草に身を沈めてまどろみたい心境・・・。

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親先生には、「令和」の由来について紹介され、また境内のさわやかさを五感まかせて感じ取りたいと。般若心経には「無眼耳鼻舌身意…」とあると説かれ、境内に溶け込んで自然を感じ取ってほしいと。また、ご恩日は百万遍のご念珠をとおしてご先祖様、宗祖上人様、お不動様始め諸々のご縁を感じてほしいと。

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そして親先生には、「閑不徹(かんふてつ):心の中、心は常に無心で閑かに、あるがまま、あるがまま」との今月の禅語をいただいています。中国南宋の虚堂智寓禅師の句(虚堂録)で、「雲在嶺頭閑不徹 水流礀下大忙生」(雲は嶺頭(りょうとう)にありて閑不徹(かんふてつ)、水は礀下(がんか)を流れて大忙生(だいぼうしょう)」とのこと。雲は嶺の上遥か静かに浮かび動かず、水は谷川をざわざわと忙しく流れ続ける。静と動、どちらも無心であると。 ここで水は、忙しく仕事をこなしつつも余裕の心境でしょうか、対して雲は、アッという間に仕事をこなして更に余裕の人でしょうか。何れにしてもゆとりある仕事であっても慎重に最善を尽くし、また急ぎ多量の仕事にもよく対処したいもの。忙中閑ありで日々ありたいものでしょうか。

(合掌)

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