めぶきの季節

この日曜日、天気も回復し、急遽、お参りさせていただきました。このところ慌ただしく、落ち着くことも必須、境内は既に杉花粉の黄緑色に染まりつつあり、親先生のお話では朝夕拭き取りしておられるとか…、大変な季節のひとつ、黙々と耐えて遣り過ごすことと…。そしてお山は、木々の新芽でしょうか、やや赤味を帯びて見えます。お堂の周囲には、馬酔木、梅、など白い花が目立ち、そこから山腹に向かって、今は、沈丁花、自生のやぶ椿など楽しめました。この日は花替えのお行をされたとのこと、お同行さまには、ありがたく感謝申し上げるものです。

  

親先生から2月は、「 惺惺着【せいせいじゃく】 (心を静かに保て) 」といただきました。  

この禅語は、『無門関』第十二則に出てくる話…。『無門閑』は中国、宋の禅僧・無門慧開(ムモンエカイ)和尚(1183-1260)による公案(禅の修行者に課せられる一種の試験問題)集、四十八則のひとつであると…。

――瑞巌(ズイガン)の彦(ゲン)和尚、毎日自(ミズカ)らを主人公(シュジンコウ)と喚(ヨ)び、  復(マ)た自ら応諾す。乃(スナワ)ち云(イワ)く、「惺惺着(セイセイジャク)、喏(ダク)。他時異日(タジイジツ)、人の瞞(マン)を受くること莫(ナ)かれ、喏。喏。」――

  

――秋月龍珉著・『無門関を読む』には、次のようにあります。――

【原文】瑞厳彦和尚、毎日自喚、「主人公」、復自応諾。乃云、「惺惺着。喏。他時異日、莫受人瞞。喏喏」。  無門曰… 瑞巌老子、自買自売、弄出許多神頭鬼面。

何故、聻。一箇喚底、一箇応底、一箇惺惺底、一箇不受人瞞底。認着依前還不是。若也傚他、総是野狐見解。    頌曰… 学道之人不識真、只為従前認識神。無量劫来生死本、痴人喚作本来人。

【現代語訳】「第十二則「瑞巌、主人公を喚ぶ。」  

「瑞巌(ズイガン)の彦和尚、毎日自(ミズカ)ら「主人公」と喚(ヨ)び、復(マ)た自ら応諾(オウダク)す。乃(スナワ)ち云く、「惺(セイ)惺(セイ)着(ジャク)、喏(ダク)。他時異日(タジイジツ、人の瞞(マン)を受くること莫(ナ)かれ。喏(ダク)喏(ダク)。

 無門曰…

瑞巌老子、自(ミズカ)ら買い自ら売って、許多(ソコバク)の神頭鬼面(シンズキメン)を弄出す。何が故ぞ。聻(ニイ)。一箇の喚ぶ底(テイ)、一箇応ずる底、一箇の惺惺底、一箇の人の瞞を受けざる底、認着(ニンジャク)すれば依前として還(マ)た不是(フゼ)。若也(モシ)他(カ)れに傚(ナラ)わば、総(ス)べて是れ野狐の見解(ケンゲ)ならん。

 頌(ジュ)に曰く…(六義の一つで宗廟にて神徳を賛美した楽歌)

学道の人(ヒト)の真(マコト)を識(シ)らざるは、只だ従前より識神を認むるが為なり。無量劫来生死(ゴウライショウジ)の本(モト)、痴人(チジン)を喚んで本来人と作(ナ)す…と。

  

―― 高橋浩著・『禅の知恵ものしり辞典』では、「瑞厳の師彦和尚は、毎日、自分のことを主人公と喚び、また自ら応諾す。すなわち云く、惺惺着。他時異日、そして、自分に向かって『心静かに保っているか』と問いかけ、自分で「ハイ」と答えている。――ここで、喚びかけている自分は、『日常の自己』、 答える自分は『本来の自己』、または『真実の自己』であると…。毎朝、いつもの自分から、心の奥のもう一人の自分へ喚びかけ、『惺惺着…。』と再確認、『心静かにできているか、ボーっとして騙されるな』と…、再び自身に問い直す。 日々の気付きに感謝し、そしてまた『惺惺着』をお導きいただいた親先生に感謝申し上げるものです。 『惺惺着』…日々傍らに置きたい禅語ではないかと…。

  

新型コロナは、2桁台の日が出てくるようになり、減少傾向にありますが、死者数が比較的多く、また、後遺症も重篤な人が多いなど、第5類への移行について、諸手を挙げての賛成には、蟠(ワダカマ)りの残るものではないかと。 経済中心の方向を考えておられるように感じておりますが、くれぐれも慎重な対応をお願いしたいものです。集会などへの参加では、手抜きすることのないように、基本を守って、マスク、手洗い、換気、距離を空けるなど、みんなで臨機応変に頑張りたいものです。 インフルエンザ予防接種と共にコロナも確実にワクチン対策したいものです。 新型コロナ禍の根絶を皆様と共に祈願したいものです。

(合掌)

(管理人)