冬のおとずれ

11月中旬となり突然の寒波襲来で往路には何度も霙に見舞われる寒い日ではありましたが、都合がつかぬことが多々あり繰り合わせてのお参りでした。図らずも、親先生には、地区の文化祭に参加されるとのこと(内緒ですが、地元の方とギターバンドでサブボーカルとMCをされているとか…スゴーい!…であるとのこと)で、ご加持いただくと早々に出発されていました。また、地区のイベントと思われる石見銀山街道のハイキングご一行も通過されていました。

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暖冬を感じさせるこれまでの気候でしたが、流石に、『まゆみ』や『もみじ』、『イチョウ』などが色づき始め、未だ黄緑色など残っているもののめっきり晩秋を感じさせます。今年は柿の当たり年であるとのことですが、サルたちも食べに来ない熟した実だけが残る裸の柿の木が寒さを引き立ててくれていました。

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銀山街道の名水……清水の金柄杓にはいまだに秋の陽だまりを思わせる花たちが咲いていましたが、もうすぐ雪に凍えると思うと少し淋しくなってしまいます。

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そして、今月、親先生からは「念(ねん)《よいことも、悪いことも、心のはたらきのなせること》」と、いただきました。

辞書などによりますと、「念」とは「思い」「心にとめて忘れない」「気を付ける」「心を集中する」「となえる」などあります。また「非常に短い時間を現わす…一念」もあり、一念は一刹那(又は60刹那とも)で、それは1/75秒であるとか(大毘婆沙論)…。

「心のはたらき」について、宗祖大上人様は、「…要は頼む一念にあり、夫れ信を学に置くなかれ、信を人に置くなかれ、当に信を仏に置くべし…」と説いておられます。身心投げ打って…と現わすことのできるように…努めたいものです。まずは、おさずけの其の五に…ご宝前に両手を合せ、口に唱名念佛するのみが身語正の信心にあらず、また滝にかかるのみが行にはあらず、日々さずかるお仕事は大小上下によらず、これ佛さまより授かりたる菩薩の浄行なりと悟り、一事一物に対しても、報恩感謝の念を以って精進努力する、これ身語正行者真の菩薩なり…とあります。そのように日々努めたいものです。

そして、まさに本日も、感謝の念を少しでも持たせていただけたことでありました。

(合掌)

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