遅くなりました…令和6年10月のブログ

親先生より、10月は、「忘己利他」(もうこりた)『己を捨てて他を利すればいい、そうすればまっさらな皆が幸せになる』、といただきました。

『奈良康明著』「仏教名言辞典」から、「他を利するとは、即ち自らを利するなり」と、展開させていただきます。
〈出典〉インド、ナーガールジュナ(竜樹・著、150年~250年頃)、「十住毘婆沙論」七巻、後秦、鳩摩羅什・訳」

  

  他利即自利

〈解説〉言うまでもないことながら、私たちは社会の中に生きている。一人で無人島にいるわけではない。だから、他人とともに生きざるをえない。ともに生きるなら互いに不愉快にならぬよう気を付けなくてはならないこと、自明の理である。それなのに、みんながエゴを振りかざして、自己を主張するものだから、世の中は自我がきしみあって、まことに不自由である。自由とは「自らに由る(拠る)」と書く。拠るべき自分がエゴの自分なら、その自分の自由は、必ずや、他人の自由とぶつかる。お互いに不自由になるのも無理はない。

仏教の基本の考え方は、みんながともに生きてゆく世の中だから、他人をわが身にひきあてよ、という釈尊の教えにつきている。だから、「他を利する」からといって「自らを利する」ことを否定するのではない。自らをたてるのに他をおしのければエゴで世の中はどうにもならないし、逆に他をたてて、自らがつぶれてしまったら、それは愚かである。他人の利が自分の利に連なる考え方と行為をしようと言っているのである。

  

商人は物を売って利益を上げるが、お客は商店があるからこそ、金さえだせば、すぐに物が手に入るという便宜を得ている。互いに他を利して、自分の利を得ている。物を作る職人も同じである。大工さんなら、金をもらって家を建てるのだが、これも相互の利の交換である。

金を払ったのだから、家を建てるのは大工の義務だ! というのではなくて、相互に利を与え合っている…と、考える。と、…仏教は、教わる。そこから、お互いに「お陰様で」…、と、感謝しあう共感が生まれてくると、……。

(合掌)

(管理人)

  

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