久しぶりにお参りさせていただきました。ご恩日法要の位牌堂は、北向きの涼風が吹き渡り、下界の猛暑を忘れさせてくれました。西日本は日照り続きですが、ここでは「清水」という地名のとおり雪解けを思わせる冷水が巨大な岩塊群の下から絶えることなく湧き出していて、涼しさの助けになっているものと。そして夏の花たちも元気でいて楽しませてくれます・・・。
そして毎度絶妙な味付の美味しいお斎をいただきました。いつも感謝です。少し時間があったので、湧水の配水施設の手入れをされるというお同行さまとご一緒させていただきました。手足まといになると予想されましたが、岩塊海の上の涼しさを味あわさせていただきました。感謝です。
今月の親先生には、「無功徳(求めれば足りず、手放せば足りる)」といただきました。これは、禅宗の開祖・達磨大師の問答だということ(景徳傳燈録)だそうです。大師は、お釈迦様より28代目の高僧で、六世紀中国の梁王朝に渡ったとき、武帝に招かれ、尋ねられました。「わたしは、仏教を理解し、多くの寺を建て、経を写し、僧を養成してきた、どのような功徳があるのでしょうか?」と。しかし、大師は、一言、「無功徳」と言われたのみであったと。武帝の善根が見帰りを期待しての行為であったことが真の功徳ではないとされたのだと。
自身の行いが果報を期待して行うと、その果報に不足のこころが生まれてしまうと。何か良いこと行うとき、相手に感謝されることを求めなくても・・・少しだけ、心が安らかになったらそれでよい・・・足りていると思いなさいと。 難題ですが、ともかくもお行させていただければと思うばかりです。
合掌
(管理人)