境内に秋を感じて

都合がつかず、急遽、先の日曜日にお参りさせていただきました。一昨日には位牌堂周辺に猿集団(20匹余り)が出没したとのことですが、お山の栗や椎の実を食べに来ている模様です。柿の木は橙色や赤い実を付け、お山全体が黄色くなりつつあると感じられました。猛暑の夏から一気に秋が過ぎ去ろうとしていると感じました。今年からは新型コロナウイルス禍との長い共生が始まるとも言われています由、智慧と忍耐で新しい暮らし方を工夫し、より良くしたいものです。

 

親先生から10月は、「他人に教えるとおりに自分でも行え」といただきました。これはお釈迦様の言葉を集めた「ダンマパダ」(真理のことば/漢訳[法句経])に出てくるお釈迦様の教えで、次のようなものであると…。

  1. 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことがないであろう。
  2. 他人に教えるとおりに、自分でも行え――。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであろう。自己は実に制し難い。
  3. 自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。

(ブッダの心理のことば・感興のことば/ 中村元訳/ 岩波文庫より)

 

最初に「まず自分をととのえ…次いで他人を教えよ…」です。まずは生業を持ち、毎日を常に自分に厳しくして自分をととのえておく…と言いうことでしょう。全く何も調えていないという場合、困ったことになりますが、それでも失敗の経験は年の数以上にあるので、その失敗談でも利用して注意喚起してみることくらいは出来るのではないかと…。

そして「他人に教えるとおり自分でも行え…」とあります。自分でも行うには、己を抑制することが求められ、非常に難しいこと…。ある人の生い立ちは、小さい時から、掃除、洗濯、料理などさせられ辛い毎日だったそうですが、大人になってみると他人には出来ないことが何の苦も無くできていて、今では厳しかった祖父に感謝しているそうです。お釈迦様の弟子の一人が身の周りの世話をしていて、一つ一つの作業の中にも修行があると気づいたそうであります。一つ一つの作業は、みんな仏道に通じていて、その修行の積み重ねが、完全ではないにしても、少しずつ、自己をととのえていくのではないかと…。

最期に「自己こそ自己の主である。他人がどうして(自分の)主とであろうか?自己をよく整えたならば、得難き主を得る。」とありますが、自己をととのえることは大変難しい、完全に抑制するなど不可能であると…。この自己をととのえるについて、子どもの頃には望むままに自由にすることが出来ていた自己が、大人になると、他との摩擦を防ぐため、自己を厳しく抑制しなければならなくなる…。自己を良くととのえたとき、それは無我の境地ではないかとも思うもの…。

 

日々の暮らしの中では、己に厳しくあること、そして感謝を忘れないでいたいもの…。京都山科に、六万行願を行う (一燈園) があります。その研修は、無所有奉仕というもので、バケツと雑巾のみで、街に繰り出し、トイレ掃除などをさせていただく修行だとか。民家を回って頭を垂れ、もしくは土下座して「トイレ掃除をさせてください」と懇願する、その時の無我の心と「トイレ掃除をさせていただけた」感謝の心は、社会人としての「気づき」を与えてくれると。《六万行願とは、礼拝(おがむ)、下座(へりくだる)、奉仕(ささげる)、慰撫(なぐさめる)、懺悔(あやまる)、行乞(許されて生きる)とのこと。》今月は難しいお言葉で、凡夫にはどうにも遠い目標でしたが、今後とも少しずつお行させていただきたい、少しでも近づくように頑張りたいと思うものです。

新型コロナウイルス撲滅のために努力されている関係者の皆様には心から応援させていただきたい。そして、新薬やワクチンの開発、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願って祈願するものです。

(合掌)

管理人