あっという間の霜月

最近は誠に多忙、特に新型コロナ禍以来そんなふうに感じてしまいます。「オンライン」で確認…とか、仕事は「テレワーク」で…とか、ライフワークバランスがどうとか、忙しなく「横文字」が飛び交っています。一休さま、一茶師の時代が懐かしくなります。そんなことで境内のお山も秋の気配の素早いことに驚くことでした。黄色く色づいた銀杏の大木に、しばらくは息を飲んで見上げておりました。さすがに花たちの時は終わり、実生の季節へと移りつつあります。また、先のお参りの折の吊し柿があめ色に染まりもうひと冷えの到来を待っていました。異常気象の時代には警戒を要することに違いなく、来月始めには、寒波が待ち構えているとか、寒さ対策にも万全でありたいものです。

  

親先生から11月は、「只管打座【しかんたざ】 (無心になって一つのことに打ち込めば、自然と道はひらける) 」といただきました。 

岩波仏教辞典(中村元先生他共著)には、次のようにあります。(祇管打坐とも書く)、『只管』は宋代以降の口語で、『ひたすらに』の意、ただひたすら坐禅すること、全身心をあげて坐り抜くこと以外に仏法の体得はない、打坐即仏法という道元禅の特質を現した語、とある。・・・中略。・・・「参禅とは身心脱落なり、祇管打坐にして始めて得」とある。(『正法眼蔵(三昧王三昧)』

その『正法眼蔵・三昧王三昧』(寛元二年(1244年)越前吉田県吉峰寺にて示衆された)には、以下のようにあります。 ・・・一部略・・・。【原文】先師古仏(こぶつ)云く、「参禅者(は)、心身(しんしん)脱落(だつらく)也、祇管打坐(しかんたざ)して、始めて得(え)ん。不要、焼香(しょうこう)、礼拝(らいはい)、念仏、修懺(しゅさん)、看経(かんきん)を」あきらかに仏祖の眼睛(がんぜい)を快出しきたり、仏祖の眼睛裏に打坐すること、四五百年よりこのかたは、ただ先師のひとりなり、震旦国(しんたんこく)に斉肩すくなし。打坐の仏法なること、仏法は打坐なることをあきらめたるまれなり。たとひ打坐を仏法と体解すといふとも、打坐を打坐としれるいまだあらず。いはんや仏法を仏法と保任(ほうにん)するあらんや。しかあればすなはち、心の打坐あり、身の打坐とおなじからず。身の打坐あり、心の打坐とおなじからず。身心脱落(しんじんだつらく)の打坐あり、身心脱落の打坐とおなじからず。既得恁麼(きとくいんも)ならん、仏祖の行解相応なり。この念想観を保任すべし、この心意識を参究すべし。・・・一部略・・・

  

【現代語訳】《如浄古仏のことば》 先師なる如浄古仏は仰せられた。「参禅とは、心身(しんじん)脱落(だつらく)である。ただひたすらに打坐(たざ)して、はじめて得ることができるのであって、焼香(しょうこう)も、礼拝(らいはい)も、念仏も、修懺(しゅさん)も、看経(かんきん)もいらない。」 思うに、仏祖の眼睛(がんぜい)を抉(えぐ)り出してきて、その眼睛のなかにぴたりと打坐しているというような人物は、この四、五百年このかた、ただこの先師なる如浄古仏のみである。だから、この中国にも、この先師と肩をならべるような人物はまことにすくない。打坐することが仏法であること、仏法とは打座することであることを、はっきりと知っているものはまことにすくない。たとい、打坐これ仏法なることを体験で知っていても、なお、打坐とはどういうことであるかを知っているものはない。ましてや、仏法とはどういうものであるかをよく把握しているものがあろうか。ということであるから、心の打坐ということがあるが、それは身の打坐とおなじではないし、また、身の打坐ということもあるが、それは心の打坐とおなじではない。さらいえば、身心脱落の打坐ということがあるが、それをそうだと思えば、それはもう身心脱落の打坐ではではなくなってしまう。ただよくそこまで至ったとき、その時、仏祖としての行と解とがぴたりと一枚になるというものである。では、その心境をよくよく把握するがよく、また、その考え方をよくよく思いめぐらしてみるがよい。・・・一部略・・・

  

宗祖お上人さまは、「苗木の手入れは子供の教育と同じこと。よく手入れをして育てた木は、家を建てる材木にも、人を渡す船にもなる」と、諭しておられます。 仏性とは、一切衆生が生まれながらに持つとされている仏になれる性質のことで自性清浄心ともいわれるそうです。しかし、妄想、煩悩によって、あたかも月が雲に隠れるように、仏性が雲らされているのが私たち凡夫の姿です。仏性を育て上げ、開顕する、すなわち、「胸を開く」ためには、ご成就をいただき、仏さまとの現当二世のご縁結びを授けていただき、『おさづけ』に基づいて正しい身語正道を歩むことが大切、とあります。(宗祖覚恵上人語録「心のともしび」より)

  

新型コロナは、私共の島根でも、この2日間、連日800人を超える新規発症者が確認されていて、第8波のピークとも疑われていると聞きます。経済支援に舵を切った公共の支援には希望がなくなりつつあります。新型コロナ対策は、基本を守り、ワクチン接種をインフルエンザも含めて実施するなど確実に対策したいものです。コロナ禍の根絶を皆様と共に祈願したいものです。

(合掌)

(管理人)