先の日曜日は新春初護摩供祈願祭が厳修されました。当日は当初、冬の嵐、大雪の予想でしたが予報外れといいますか、季節外れの暖かさとなり、番狂わせのことともなりました。新型コロナ禍ということで、流れ護摩方式に変更となり、13:20開始のところを、正午から13:30までと変更されたものでした。会場の本堂・護摩壇周辺には郵送によって届けられたであろう大量の護摩木・添木がうず高く積まれ、護摩供御祈願を待つばかりでした。この場で御済度いただくとともに今年は「六地蔵尊御百度行場」にお世話になることとなりました。
親先生から1月は、「 柔和忍辱 【にゅうわにんにく】 (やわらかい心で周りに接すれば衝突を和らげることができる。) 」といただきました。
奈良康明 編著 仏教名言辞典には、次のようにあります。【中国・隋・天台智顗(テンダイチギ538~597) 魔訶止観 巻四上】「如来の衣とは、柔和、忍辱の心是なり」『如来衣者、柔和忍辱心是』 《解説》仏教徒は、袈裟を着ける。如来の衣とは、この袈裟のことである。私たちはそれぞれの仕事に適した服を着る。例えば戦国時代の武将は戦には、鎧と兜で身を包む。仏は袈裟を着けた。仏の教団に加入するときは、頭を剃り袈裟を着けることが規則である。渋柿色に染めた大衣を袈裟懸けに着るのである。このような僧形は、柔和な心、忍辱の心の表現にほかならない。柔和とは、感性豊かな柔軟な心である。忍辱とは、屈辱にも堪忍して大願に生きること、辱めにも耐えるという意味である。(…以下、略……。)
また、妙法蓮華経法師品第十には、以下のようにあります。(前の部分…略……。)『薬王。若善男子。善女子。如来滅後。欲為四衆。説是法華経者。云河応説。是善男子。善女人。入如来室。着如来衣。坐如来座。爾乃応為四衆。応説斯経。如来室者。一切衆生中。大慈悲心是。如来衣者。柔和忍辱心是。一切法空是。安住是中。然後以不懈怠心。為諸菩薩。及四衆。広説是法華経。』 《訳文》薬王(薬王菩薩)、若し善男子、善女子あって、如来の滅後に四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば、云何してか説くべき。是の善男子、善女人は、如来の室に入り如来の衣を着、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是なり。如来の衣とは柔和忍辱の心是なり。如来の座とは一切法空是なり。是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸の菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。『薬王。我於余国。遣化人。為其集聴法衆。』《訳文》薬王、我余国に於いて、化人を遣わして其れが為に聴法の衆を集め、『亦遣化。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。聴其説法。是諸化人。聞法信受。隋順不逆。』《訳文》亦化の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を遣わして其の説法を聴かしめん。『若説法者。在空閑処。我時広遣。天龍鬼神。乾闥婆。阿修羅等。聴其説法。』《訳文》若し説法者空間の処に在らば、我時に広く天・龍・鬼神・乾闥婆・阿修羅等を遣わして其の説法を聴かしめん。・・・・・・(中、略)・・・
『若人説此経。応入如来室。著於如来衣。而坐如来座。処衆無畏所。広為分別説。大慈悲為室。柔和忍辱衣。諸法空為座。処此為説法。若説此経時。有人悪口罵。加刀杖瓦石。念仏故応忍。』《訳文》若し此の経を説かば、如来の室に入り、如来の衣を着て、而も如来の座に坐して、衆に処して悪びれる所なく、広く為に分別し説くべし、大慈悲を室とし、柔和忍辱を衣とし、諸法空を座とす、此れに処して為に法を説くべし、若し此の経を説かんとする時、人にあって悪口し罵り、刀杖瓦石を加わうるとも、仏を念ずるが故に忍ぶべし。・・・・・・以下、略・・・・・・
私事ですが、松原老師の「道元」、読みつつあります。「法華経には譬え話ばかりで思想がない」と言われるが、それは読み方の違いであると言っておられます。「柔和忍辱」の考え方は、法華経が起源であろうとも、「やわらかく、気持ちからやわらかく、お互いに心掛けましょう。そしてグッと我慢しましょう。言いたいことはお互いさまにあるのですが……。」 せめて「コロナ禍」の間だけでもと…、決心してみませんか。
新型コロナは、このところ島根でも連日1000人を超える日が続いており、死者数が多いことも心配なところ、すでに第8派に到っているものと推測されます。市からは、5回目のワクチン案内が届き、すでに5回目を完了したところですが、やはり、ここは、手抜きすることのないように、良く基本を守って、マスク、手洗い、換気、距離を空けるなど、みんなで頑張りたいものです。 インフルエンザ予防接種と共にコロナも確実に対策したいものです。コロナ禍の根絶を皆様と共に祈願したいものです。
(合掌)
(管理人)