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奥之院 波切不動 身代り地蔵 子安観音 山之守護神 円明不動 淡島堂 薬師堂 明王堂 宗祖上人像 観音堂 延命地蔵 弁財天 六地蔵 水子地蔵 飛瀧の滝 恵比寿大黒堂 位牌堂 阿弥陀堂 白木堂 古四国 本堂 会館

境内写真(サムネイル)




① 奥之院開基堂
② 頂上波切不動尊
③ 身代り地蔵尊
④ 子安観音像
⑤ 山之守護神堂
⑥ 円明不動尊
  
⑦ 淡島堂
⑧ 薬師堂
⑨ 明王堂
⑩ 宗祖覚恵上人像
 
⑪ 観音堂
⑫ 延命地蔵堂
⑬ 弁財天堂
⑭ 六地蔵尊お百度行場
⑮ 水子地蔵尊
 
⑯ 飛瀧の滝行場
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⑰ 恵比寿大黒堂
⑱ 位牌堂
⑲ 阿弥陀堂
⑳ 白木堂
㉑ 古四国八十八箇所
本 堂
信徒会館

 (奥之院開基堂)  昭和22年4月21日の夜半、宗祖上人が一篤信者様の夢枕に三晩続けて立たれ「この山を開けよ」とのご仏告がありました。 この頃、御慈悲の御法に結縁されていた初代親先生は、得度され、まずは、御堂の建設に着手されました。 苦難の建設工事を乗り越えて昭和28年4月完成となりました。

 (頂上波切不動尊) 弘法大師が約1200年前遣唐使として入唐され密教第八祖となられて帰国の途の海上で大変な嵐に遭遇されました。 弘法大師が一心に不動真言をお唱えになると、不動明王が降臨現出されて、大きな利剣を振りかざし、大波をばっさと切りきざみ、嵐をしずめたとのことです。
 この時の不動明王を波切不動といいます。

 (身代り地蔵尊) お地蔵様は、現世利益に深く結びついた仏さまです。地蔵菩薩は、弥勒菩薩が仏(如来)として出現するまでの娑婆世界で、人々を救うといわれ、色々なものに姿を変えて八面六臂の活躍をされます。
 身代り地蔵は、御慈悲深い尊容ですが、その背後には「代受苦」の決然とした誓願を秘めておられます。

 (子安観音像)  安産、子授、子育安全にご利益があるとされています。 観音様(観世音菩薩様)は、様々に苦しむ衆生を救うため色々な観音菩薩となられますが、その中で、聖観世音菩薩(もしくは如意輪観世音菩薩)が子安観音であると言われています。

 (山之守護神堂) 奥之院の完成後、一篤信者様がお詣りされていると、身丈九尺、齢四百年という大蛇が現れ、「大師山の主であるが供養してほしい」とのことで、12月27日石像を作り開眼供養されました。
 翌年、身丈一丈五尺、齢六百年と言う大蛇が現れ、「矢滝の主であり、妻同様に供養してほしい」と。
 昭和28年7月21日石像を開眼供養されました。

 (円明不動尊)  当山のお滝行場として、建設されたのが当初のことでしたが、湧水の水量豊富なるも、砂地からの湧水のため、不都合多々生じたため、お滝は、現在の飛龍の場所となりました。 円明不動様は、この当時のお滝場と共に造立されたものです。

 (淡島堂) 大本山参詣の途中、淡島大明神より「そちらに座するぞ。御堂を温泉津櫛島に向けて立てよ」との御垂示があり造立されたものです。
 古事記によると、淡島神は、少彦主命(スクナヒコノミコト)という女性の神様であると。医薬の神様で、船に乗って粟島に現れ、大国主命と国造りし、常世の国にわたっていったとのことです。

 (薬師堂) ご本尊は薬師如来様です。他に、文殊菩薩(釈迦如来の左の脇侍仏で智慧を象徴する菩薩)、普賢菩薩(釈迦如来の右の脇侍仏で理知・慈悲を司り延命の徳を備える)、虚空蔵菩薩(虚空の如く広大無辺な福徳と智慧をもつ、胎蔵界曼荼羅の虚空蔵院の主尊)、勢至菩薩(阿弥陀如来の右の脇侍仏(左は観音菩薩)で、智慧の光により衆生に菩薩心の種をまく)の諸尊が安置されています。

 (明王堂) ご本尊の蛇体不動は、倶利伽羅不動明王とも言われ、「倶利伽羅大龍勝外道伏陀羅尼経」によると明王が天界で95種の外道と論争した際、智火の剣に変化すると相手も剣に姿を変えた、そこで明王は間髪入れず倶利伽羅大龍王に変化して剣を呑み込もうとすると、外道は降伏し、仏道に帰依したとのことです。

 (宗祖上人像)  宗祖上人像は、一篤信者様のご子息み霊追福菩提を祈願されての造立によるものです。
 また、上人様像の岩陰には、蟇菩薩像が安置されています。石像は、昔、上人様の弟子であった方からの「蟇蛙の姿となってはいるが、道を求める菩薩である」との霊告により、上人像と共に安置されることになったものです。

 (観音堂) 聖観世音菩薩(衆生の苦悩の声と祈りの姿を心眼で観て多様な姿に変化して済度される)、千手千眼観世音菩薩(千の慈悲の手と千の智慧の眼で広大無辺の救済をされる)、馬頭観世音菩薩(衆生済度に専念し早く霊験の顕れる畜生道を救う)が安置されています。
 六道と観音様: 衆生の行為の結果として六道に墜ちるといわれ、地獄を聖観音が、餓鬼を千手千眼観音が、畜生を馬頭観音が、阿修羅を十一面観音が、人間を准胝観音が、天を如意輪観音が、それぞれ救うと言われています。

 (延命地蔵堂) 「仏説延命地蔵菩薩経」によると、延命地蔵菩薩は釈迦如来の没後の末世を救うものとあります。 三途(地獄道、餓鬼道、畜生道)で地蔵の姿を見聞きしたものは天か浄土に生れ、三善道(阿修羅道、人間道、天道)で名を聞いたものは来世で仏国土に生れ、更に心眼を開くと、十種の福(女人泰産、身根具足、衆病悉除、寿命長遠、聡明智恵、財宝盈溢、衆人愛敬、穀米成熟、神明加護、證大菩提)を与えるなど、様々ものに姿を代えて衆生を済度するといわれています。

 (弁財天堂) 弁財天は、古インドの水の神であり、その河の流れる様から音の神として、更には言葉の女神として信仰されていたものです。
 七福神の紅一点であり、福徳、諸芸、弁舌、学芸、智慧の女神として、また、「金光明最勝王経」では、その姿は一面八臂であり、弁才、無尽の智慧、財宝、延命を与え、更に、悪夢、邪気、呪術、鬼神などを排除し、病苦や疾病、闘争などから遠ざけるとあります。

 (六地蔵尊) 六地蔵は、預天賀地蔵(又は、日光地蔵、天道を救う)、放光王地蔵(又は、除蓋障地蔵、人間道を救う)、金剛幢地蔵(又は、持地地蔵、修羅道を救う)、金剛悲地蔵(又は、宝印地蔵、畜生道を救う)、金剛宝地蔵(又は、宝珠地蔵、餓鬼道を救う)、金剛願地蔵(又は、檀陀地蔵、地獄道を救う)を言い、日本独自の信仰といわれています。

 (水子地蔵尊) 水子地蔵尊は、悪い病や不慮の事故などで早逝された15才以下の童男・童女、わけても母体に生命を宿しながら様々な因縁によってこの世に生れてくることが出来なかった幼き魂が、冥土の賽の河原で地獄の責め苦にさいなまれる(親の因果が子に報いる)ことを、その功徳をもって救済し、極楽浄土に導かれるといわれています。

 (飛龍の滝) 当山のお滝行場について思案の折、馬木不動尊からのお慈悲があり、「この(飛龍の)滝場にご苦労するぞ」といただいたのでした。そこで、尊像安置の場所を定めると巨岩も事無く安置され、馬木不動尊像が造立されたのでした。このご縁は、初代ご住職が得度されて間もない頃に出雲霊場巡拝をされた砌、馬木不動尊とのご縁を結ばれものでした。

 (恵比寿大黒堂) 日本の神々が仏法に深く係られていることは元享釈書でも明らかであり、初代親先生は、清水の山を開かせていただくにあたり、恵比寿大黒両大神を勧請しご鎮座いただくべきと発願され、建立されたのでした。
 注)恵比寿さまは、伊弉諾・伊弉冉の子と記紀にありますが、大国主命の子の事代主命とも言われ、漁業、農業の神様であると、又、大黒さまは、古インドの神の大黒天で仏道に帰依してからは食厨の神でもあるが、大国主命と集合されて大黒さまとなっているものです。

 (位牌堂) 当山の開顕当初は、大師山山頂の奥之院開基堂までご参拝いただくにつけ、老人婦女子の山奥まで登る不便があり、本堂建設が決行されたのでした。
 資金難や初代親先生自らの瓦運び、左官頭領との二人三脚での壁塗りなど苦難の末建設されたものです。現在は位牌堂として使用されています。

 (阿弥陀堂) ご本尊阿弥陀如来は、西の彼方、極楽浄土の教主であり、人智では計り知れない悠久の時をかけて修行し、悟りを開いて仏陀となったといわれています。衆生が臨終を迎えた時、仏をたのむすべてのものを自らの仏国土に誘うとのことです。
 「阿弥陀経」によると、極楽浄土は、娑婆世界の西方十万億土を超えたはるか彼方にあり、「衆苦なくただ諸樂を受くるがゆえに極楽と名づく」とあり、また、極楽浄土には、「九品」という9種の区分けがあり、生前の功徳の積み方の違いによって、往生の仕方に違いがあることを示しています。「觀無量寿経」に、これを「九品往生」というとあります。

 (白木堂) 大本山の白木不動尊様から、「清水の山にご苦労するぞ」とのお慈悲をいただいて建立されたものです。 白木は、「無智」をあらわし、しかも無智の中から一切衆生の心を真から和ませてくださるお慈悲は当意即妙という他にないものです。