親先生には、8月は、布施『喜びの気持ちで人にほどこす』と、いただいております。
奈良康明著の「仏教名言辞典」にて、多々ある中、この一文を読み上げてみたいものと思います。
『相(そう)に住(じゅう)せずして布施(ふせ)せば、其(そ)の福徳(ふくとく)思量 (しりょう)すべからず。』
【出典】インド、大乗経典、「金剛般若経」、『後秦、鳩摩羅汁訳』
(若菩薩)不住相布施。其福徳不可思量
【解説】布施の原語は「ダーナ」と言い、与えることという意味。 布施には、財施(物の施し)と法施(教えの施し)がある。仏教教団では前者は在家信者が修行者に行う布施で、とくに食べ物の布施が中心である。これに対して後者は修行者が在家信者に対して行う布施で、信者の布施を受けたときに、その善行に対して説法することが布施と考えられている。修行者は生産活動をしないので、信者の食べ物の布施が頼りである。それがあることで修行に専念できる。
一方、信者はその布施をすることで、修行者から法施を受ける。それによって功徳を積み、来世で善いところに生まれ変われるという確固たる信仰をもつことができる。布施はこのように教団のなかでは、信者と修行者の間においてなくてはならない行為で、これを修行とまで考えたのである。修行であるから、そこで、「ものにとらわれながら布施してはならない」という教えが生まれた。
在家信者は、惜しみ心、賎(いや)しい心、お返しを期待する心などをもって財施をしない。つまり、貪(むさぼ)りの心で財施をしてはならない。という意味である。また修行者には教えを出し惜しみしたり、報酬を求めるために説法したりしてはならないというのが法施の意味である。
(合掌)
(管理人)