熱中症に注意して御行清掃の日

先の日曜日、夏を控えての御行清掃の日、あれこれと日頃お世話になっていることばかり思い返し、今日こそはご恩の極々少しでもお礼したいと思いつつも、何をしても手間のかかる体になってしまい、思いのようにはなりません。それでも、皆さまに声をかけてはげまし戴いたこともあり、奥之院開基堂までお参りがかない、今日もまた感謝のことが絶えない日となってしまいました。お同行さまには、奥之院への参道に倒れたマツの古木(芯には松脂が蓄積)など伐採、白木堂をはじめ、多くの御堂の大掃除と、暑い中、熱中症とたたかいながらの作業をされており、感謝申し上げる次第です。曇り空の下でのことではありますが、蒸し暑く、何事においても、熱中症に注意しながらの作業となってしまうことでした。改めましてお礼申し上げます。

  

そして、親先生より7月は、「看脚下(履物をちゃんと揃えるくらいの余裕がなければ、生活が乱れ、人生まで乱れますよ。)」、といただきました。

その「看脚下」について、故・松原泰道老師の著「五十歳からの人生塾」に、次のような一節があります。ある時、修行を積んだ雲水が、大應(だいおう)国師(臨済宗妙心寺開祖・無相大師の師・大灯国師の師)に問います。「釈尊のご誕生については、『天上天下唯我独尊』とおっしゃったことなど史実は存じていますが、釈尊は、いま、どこにいらっしゃるのでしょうか?」と…。 この雲水は、学問の勉強でなく、生きた仏教を身に着けたいのです。仏像でなく、お釈迦様を目の前に拝みたいのです。大應国師は、雲水のひたむきな面差しを愛おしんで、静かにゆっくりと力をこめ、「看脚下『脚下(きゃっか)を看(み)よ』(照顧脚下ともいう)」と、明快にひと言で答えておられると…。 『脚下を看よ』とは、自分の足もとに気をつけよ、ということであると…。インドの修行者は歩く時、虫を踏み殺さないように、下を向いて足もとに注意すると…。このことから転じて、禅門では、自己反省から更に、自己の中に真理を求めることを言うと…。

  

この話は、同老師の禅語百選にもあり、中国・禅の開祖達磨大師から五祖・法演禅師とその三人の弟子が夜道を帰る途中、風のために灯りが消え、師は「一転語を下せ(暗夜を行くには灯火がなによりの頼り、それが今消えた、さあ、どうする?…)」と命じ、弟子たちはそれぞれの力量に応じて答え、その中で、仏果圜悟師(碧厳録の完成者)の「看脚下」が師の心に適ったとあると…。(中国・宋代の話)

  

新型コロナウイルス感染症は、新たな『BA5』なる変異種が格別の感染力であるとも聞くところであって、月末に開催の『盂蘭盆施餓鬼法要』については、新規感染者数が数百人という現状が減少傾向に転じない場合には、第7派の襲来を予想した対策に移行して行くこととされるやも知れません。その場合には、『ながれ焼香』方式で行い、百万遍供養などの人が密になりやすい事態を避けることで検討中とのこと…。新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願うものです。

(合掌)

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