大寒の晴れ間にご恩日法要

大雪に見舞われた数日が嘘のような晴れ間が広がっていました。ご恩日法要にお参りさせていただくに冴え切った空気が身を引き締めてくれます。境内の木々はまさに春の準備中でしょうか、一年で一番の静かな色彩をもって眠った振りを表しているのではないかと感じたものでした。

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今日のお斎です。いろいろな野菜たっぷりの豚汁(?)と、バイキング式の副菜類でした。いつものとおり美味しさは格別でした。そしてまたお接待があり、とうてい食べきれないのでした。いつも感謝です。

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親先生からは、1月、「一笑多福(いっしょうたふく:一つの笑いで多くの人を幸せに)」といただきました。わたし自身のためにも、いつも笑顔でいたいと、そして笑いのある集いに加われるようにしたいと思うものですが、話してみれば何ということもないのに無口であったり、苦虫が這い回ったような表情であったり、さらには長年の悪癖が苔むしたような顔かたちであったりしているのではないかとの反省です。笑いは脳内にセロトニンという幸せホルモンを分泌するものだと科学的にも立証されているとか。不安で辛いときこそ、笑顔をつくる習慣が必要だとか。口角を意識的にあげて数十秒間ニヤニヤするのだそうです。(人混みの中ではしないほうが良いようです。気持ち悪い人になってしまいます。)全豪オープンテニスで錦織圭選手の初戦で闘い敗退したアンドレイ・クズネツォフという選手がいましたが、サーブの構えやレシーブ待ちのときニッコリ笑う人で、何ともいえない気持ちにされました。

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わたし事ですが来月早々に心臓の手術を控えるとやはりお不動さまにおすがりする以外にないと思うようになるものです。「衆生聞其名号 信心歓喜乃至 一念至心回向」とありますように、み仏を信じおすがりし、信行一如にて利他行を行させていただくことにつきるものと信じ、そしていずれ何時かに は泣き咽ぶほどの歓びが、信じることの歓びが、招来するものとの願いでいっぱいです。

合掌

(管理人)

 

雪の新春初護摩供祈願祭

 

この冬一番の冷え込みで境内は真白く雪化粧し、新年の張りつめた空気の中、新春初護摩供祈願祭が厳修されました。駐車場までの雪掻きなど準備に当たられたお同行さまにはいつものことながら感謝でいっぱいです。

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親先生よりのご法話の中では大本山・八坂管長先生の年頭おさづけが「信心徳積(しんじんせきとく)」とご披露されました。私たちに慈悲の手を差し伸べてくださるみ仏さまには、深いご恩をいただいております。そのご恩を思うとき、わが身の至らなさ、浅ましさを気づかされる毎日です。それは、懺悔しても懺悔し尽くし切れないものであり、そのご恩に報いるためにも、何か少しでも人様のためにさせていただきたい、ご奉仕させていただきたいという気持ちが湧き起こり、実践する姿であるとのことです。

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徳積みは、人知れず行う陰徳が最も格が高いとか、人様の邪魔をするような「不徳」には絶対手出ししないこと、不徳を避けることは「消極的な徳積み」であるとして、悪魔の囁きに注意が必要とか。また、世の中には「浄化」の考え方もあると、精神的、肉体的苦痛を耐え凌ぐなど修行積むと得られると考えられているようですが、それは素人には至難のこと、ご先祖様を含む罪穢の浄化につながるとは思いつゝも、親先生におすがりすることになりそうです。

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昔、インドの祇園精舎では、お釈迦さまに感謝を表すため、その路々に灯明を掲げる風習があったそうです。その町に貧しい老女が住んでいて、彼女も一生に一度は灯明を揚げてみたいと思い、食事にも事欠く生活から少しずつ貯えして、長年の夢であった灯明をともしました。しかし、その晩に限って風が強く、ほとんどの灯明が消えてしまいましたが、なぜか、その老女の灯明だけが消されることもなく、最後まで、路を照ら続けたとのこと。貧者の一灯というそうです。

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いま現在を受け入れて、少しずつ徳積みの努力をすれば、み仏さまも必ずやお力添えくださると信じて、まずは一日ずつ頑張りたいものです。今年のお行の場は「観音堂」といただきました。昨年から写仏の手習いで「聖観世音菩薩さま」をお手本とさせて戴いていましたのでうれしい限りでした。まずは感謝を忘れず僅かでもご恩に報いるべく、行させていただくこと、少しでも何かのお役に立てればと思うものです。

合掌

(管理人)