昨晩の春の嵐が収まり、新型コロナウイルスも花粉も洗い流していただける有難い雨の朝となりました。アルコール消毒液で仏具の総てを消毒し、お参りされる方には出入口での手の消毒とマスク着用いただくなど隅々まで注意深くされていました。新型コロナウイルスが消滅したと言える日の一日も早いことを願ってやみません。
そんな緊張のお参りではありましたが、久し振りの境内のお山は、早咲きの桜、菜の花、黄色水仙、レンギョウなど次々と咲き始めていて、観ているだけで嬉しくなってしまいました。花畑はこれからがほんとうに楽しみです。
親先生から3月は、「身も心も縁によって成り立つ」といただきました。 中国・唐、賢首法蔵(げんじゅほうぞう)(643-712)撰、『大乗起信論別記』には、「唯一縁起、無礙鎔融、擧體全収、無不皆盡 (唯一の縁起にして無礙鎔融すれば体を挙げれば全て収め皆尽さざるは無し)」とあるとのこと。 すなわち、すべてのものは縁起の理法から外れることはなく、それは、お釈迦様の悟りに基づく教えであり、悟りそのものと言われる仏教の根本教説であると。 あるものがあるということは、あるものを成り立たせている原因や条件によって「ある」のであり、それ以外のあり方は決してない。神によるのでもなければ、物によるのでもない。因・縁によって生じているものは、因縁が無ければ消滅する道理であり、これあればかれあり、これ生ずればかれ生ず、これなければかれなし、これ滅すればかれ滅す。これが縁起説の原型であると。 四苦八苦という現実の苦悩が存在するのは、根本的な迷いとそれに導かれる行為によっていると。迷いとその業(おこない)があるから、このような苦があるのだと。生起する順序は、惑→業→苦となり、惑と業が無くなれば、苦もなくなると説く。 お釈迦様は、これを四つの真実とし、四諦(たい)の教えとして示された。諦とは真実であり嘘でないことという意味。この教えは、「苦諦(くたい)」、「集諦(じったい)」、「滅諦(めったい)」、「道諦(どうたい)」と示され、苦悩を滅するための原因の真実が知らされることになると。そして、そうした理想の実現のために相応の方法があるとされていると。 その具体的な方法として、八正道、六波羅蜜があると。 八正道は、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定であり、正しいものの見方をし、正しく思惟し、正しく話し、正しく行い、正しい生活をし、正しく努力し、正しいことを記憶し、正しく精神集中する。 六波羅蜜は、六種の実践の完成という意味合いで、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧であり、人に施すこと、正しい生活をすること、屈辱に耐えること、努力すること、心を統一すること、叡智を磨くことであると。(仏教名言辞典より抜粋) ご縁をいただいて今があることに感謝し、頑張ってお行させていただく、またよいご縁をいただくよう更につとめさせていただくことに尽きるものと……。
(合掌) 管理人