桜も残りわずかとなり、新緑すがすがしい季節になりました。ただ、朝晩の冷え込みとの温度差は格別で体調不良となられる方も多いそうです。気温の変化に気を付けたいものです。境内のお山は果たして薄緑色に染まり、冬を乗り越えた喜びを感じます。 早くもツツジやキンポウゲなどが初夏を感じさせてくれますし、もみじも新芽の中に小さな花をつけていました。
親先生はご法話の中で、本宗について浄土真宗と真言宗が習合したような…とされ、その宗祖上人様の逸話を紹介されました。お上人様は、ある時、余命少ないお同行様に「あなたの命は〇日先までですが、心配要りません。中山不動明王様と25菩薩様がお迎えに来られます」と言われました。その当日、そのお同行様は「お迎えまでいただき本当にありがとうございます。お供させていただきます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言って息を引き取ったそうです。このような仏様とのご縁が一人一人にいただけると。
そしてまた親先生には、「和光同塵(わこうどうじん):徳や智恵を表にあらわさないで俗世間の人と隔てなく交わる」といただきました。中国古典の知恵(守屋洋著)によりますと、「老子」第四章「道徳経」に「道沖而用之 或不盈 淵乎似萬物之宗 挫其鋭 和其光 同其塵 湛兮似或存:道(みち)は沖(ちゅう)にして之(これ)を用(もち)うるも、或(ひさ)しく盈(み)たず。淵(えん)として万物(ばんぶつ)の宗(そう)に似(に)たり。其(そ)の鋭(えい)を挫(くじ)き、其(そ)の光(ひかり)を和(やわら)げ、其(そ)の塵(ちり)に同(どう)ず。湛(たん)として存(そん)するが或(あ)るに似(に)たり。」から「和光同塵」と採られているそうです。聖人君子がその徳や智恵を隠して、俗世の人とよく交わることだそうです。老子の弟子「老聃」の所に若き日の孔子が教えを請うた時、そのやる気満々な態度に、「聡明で洞察力に富んでいながら、死の危険にさらされる人がいる。それは他人を批判し過ぎるからである。雄弁かつ博識でありながら、その身を危うくする人がいるが、それは他人の悪をあばくからである。くれぐれも自己主張は控えるがよい。」と説いたとのことです。これが和光同塵であると、後に孔子が語ったとのことです。
お勤めの中にも、十善戒として、…不妄語、不綺語、不悪口、不両舌…とあります。知らず知らずのうちに人の悪口や批判などしてしまうもの。注意したいものと反省です。
(合掌)
管理人