春雨の永代経法要

今日は、春の永代経法要。 新型コロナ禍のため、寒い中、扇風機で換気し、百万遍の大念珠は、全員が、マスクし、手袋をしての珠数繰りにて、ご先祖様廻向をさせていただきました。準備などお世話いただいた皆さまに心より感謝申し上げるものです。 雨に煙るお山は久し振りですが、その全体が赤みをおびて新しい芽吹きを予感させてくれます。境内は、もはや桜が5分咲きくらいでしょうか、レンギョウ、ユキヤナギなどはすでに満開で雨に濡れて耐えている風に感じられました。 

   

 親先生より、3月は、「泣 ( 泣いていいさ、明日を生きるために、未来を築くために ) 」と、いただきました。(親先生からは、ご法話でも一部紹介されました)  涙については、まず、宗祖覚恵上人さまが立教されて間もない頃のご遺訓がありました。一日の行で疲れた身体を、せんべい布団に横たえて眠ろうとされるも、いろいろと思われるのか、なかなか眠りにつかれず、涙をながしておられることがよくあったそうであります。そんなときに決まって授かられるおじひは、「ひとりで泣くとおもうなよ。そなたばかりを泣かせはせぬぞ。この大悲の親も諸ともぞ」であったと。上人さまは、突然起きあがり、おじひを授けてくださったみ仏の方角に両手を合わせて、「ありがとうございます。もったいのうございます」と、悲しみの涙から、よろこびの涙へと一転し、とめどもなかったそうであります。居合わせたお同行さまたちは、「ほら、いま、お上人さまのおじひがお出ましになっている。早くいただきましょう」と、隣の部屋から、頭を畳にすりつけて、涙を流しながらいただかれたそうであります。(概説.・中山身語正宗より、抜粋)  

   

親様には、報恩感謝とともにおすがりすれば、ともに泣いてさえいただけると…。50才を過ぎたころから、良く涙が流れるようになりました。それは、これまでの生きざまへの猛省であったり、友人、家族、仕事仲間、果ては先祖さまに至るまでのみんなに詫びる気持であったように感じます。生きざまとは言え、自分ひとりの勝手になるものではなく、みんなに多大な迷惑を承知して生きてきたのではないかと。そして日々生きることに汲汲としていた…そんな生き方が限界だったのかもしれません。病を得て65歳で退職し、単身赴任から解放され、親先生にご縁をいただいてから今日まで、うれし涙と出会えるときが戻って来つつあり、ありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。

   

もう一つ、松原泰道師(臨済宗妙心寺派龍源寺住職)著「こころの開眼」には次のような逸話がありました。それは、師の内孫が僅か2日ほどで亡くなられたことでした。更に運悪く、檀家でも長く病んでおられたご主人を無くされた方があり、葬儀が重なってしまったと。師は、若和尚に「こう言う時こそお経を読んであげるのが本当の供養になるのだから、子どものためにも、行ってあげなさい」と送り出したと。数日後、その未亡人が「あの若和尚さまに世にもありがたいお経を読んでいただきました」とお礼を言われたと。よく聞いてみると、若和尚は「奥さん、ご主人を亡くされてお悔やみを申し上げるべきですが、私には慰めを言うべき言葉がない…。たった今、初めての子供を亡くしたばかりで、棺のままに置いてあるのです…と。そういう時だから、とてもお慰めできないし、今日は、短いお経でお許しくださいと言い、二人で般若心経を読んだそうです。  未亡人の話は続きます。「お経は、ご本があれば読めるお経ですし、まして若和尚さまは空でお読みになれる。その読みなれた心経が二人とも途中で読めなくなってしまいました。何べんも涙にむせぶのです。」と。若和尚は、「奥さん、もうやめておこう。読めないお経が本当のお経だったんだから、やめておこう。坊やが亡くなったおかげで本当にお経が読めるようになりました」と。これを聞いて師は、一つの経験というものが人さまのお役に立つのだと感じられたと…。

師は、「仏教は苦労人の宗教」だと思っておられると。人生の苦労を舐めた人であれば、年齢のいかんを問わず、学歴の有無に関係なく黙っていても通じるものがあると。それはキリスト教でも通じると。「泣いてパンを食べた者でないと、本当の神の心は分らない」とあるそうです。

10年前、3月11日、私はいまだ現役で新宿で勤務していました。30秒もあったと感じられる長い地震の揺れにパソコンを支えて耐え、それが何度も繰り返したこと、何百万という帰宅困難な人たちの群れが、駅の隅々まで溢れ返っていたことなど、昨日のように思い出したものでした。その時の徹夜での支援活動など、経験者でないと分からないとの逸話でしたが、共感するものがあります。

同じように子供を亡くされた師の知人女性の歌がありました。…「なぐさめを求めて泣きし我なれどささげて生くるよろこびを知る」…と。 求めているときは甘えがあるが、その体験を人さまに役立てていただくときこそ、それは喜びになると…。

   

新型コロナウイルス感染症は、いまだ第3波が鎮静化ならず、変異株も増加しつつありますが、ワクチンの行き届くことなど心待ちされます。バングラディシュのノーベル平和賞受賞者・ムハマド・ユヌス氏が提唱しているワクチンの特許権のフリー化・製造権の開放が今の世界を救うとの考えに大賛成するものです。新型コロナウイルス撲滅のために努力されている関係者の皆様にはこれまでにもまして心から応援させていただきたいものです。そして、新薬や変異対策用ワクチンの開発など、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願うものです。

(合掌)

管理人

杉花粉の一日

久し振りのご恩日のお参りでした。晴天ではありましたが、やや風も強く、少し寒い…そんな一日…ただ、花粉の飛び方は大変なものでした。今日は格別に花粉の存在が肌身をもって感じられたものでした。この前のお参りよりも、梅、あせび、山ツバキなど、今が盛りの花々が元気を与えてくれています。そして、コロナ禍につき、寒さに耐えての換気が行われ、百万遍(珠数繰り)では、手のアルコール消毒をし、更に薄い手袋をしての珠数繰りとなりました。

  

親先生の今日のご法話は、「坂村真民」氏の「二度とない人生だから」(「自選・坂村真民詩集」より)と、宗祖・覚恵上人さまのご遺訓との類似点についてでした。

先ず、坂村真民氏の「二度とない人生だから」は、次のようでした…(写真参照)

・二度とない人生だから一輪の花にも無限の愛を注いでゆこう一羽の鳥の声にも無心の耳を傾けてゆこう

・二度とない人生だからまづ一番身近な者達に出来るだけのことをしよう貧しいけれど心豊かに接してゆこう

・二度とない人生だから露草の露にも廻り合いの不思議を思い足をとどめてみつめてゆこう

・二度とない人生だから昇る日沈む日丸い月かけてゆく月四季それぞれの星々の光に触れて我が心を洗い清めてゆこう

・私が死んだら後を次いでくれる若い人達のためにこの大願を書き続けてゆこう (抜粋)

  

「この詩の中には、宗祖覚恵上人さま思い出させてくれるところがあります。」と、親先生。 上人さまは明治3年生れ。この4月にはご生誕150年法要が行われますが、コロナ禍で大本山のみで行われるとのことです。(役員・職員のみで行う)

「宗祖上人さまは、どんな人であったかというところで、坂村真民氏と共通しているところを感じる」と、親先生。

上人さまについて、親先生には、次のように紹介されています。

・例えば、ある人から「他人を導けるようになるには、どれほどの行を積んだらよいか」と、尋ねられたところ・・・・・「自分の真似をしなさい、と言えるまで行をしなさい。自ら苦労しない者には衆生を助けることは出来ません」と、体験をして、そこで得たものこそ、本当に衆生を導けるものです…と。

・「み仏から心を授かるためにはどれほどのお行を積まなければならないでしょうか」との問いには、即座に「死ぬまでです」と答えられたと。「他人がいいものを着ていると、自分も着たい、他人がうまいものを食べていると、自分も食べたい」などの人間の欲は死ぬまで離れないからであると。

・お山(本山)での食事は極めて粗末なもので、粥が多かった。それは上人さまも同じものを食べておられたが、その食事に不満をいだき、缶詰など持ち込むものも多かった。そんなとき、上人さまは、「美味しいものは料理屋でたべるとよい、ここは修行の場ですよ」と諭されたと。

  

・お山は、杉や桧の銘木が育っていますが、苗木の手入れに行こうとされている上人さまに、「そのような仕事は代わりの者にさせてはいかがですか」と問われると、「これは子どもの教育と同じことです。立派な人に育てるためには良い教育が必要で、同じように良い木を育てるためには良く手入れすることが大切です。如来大悲は、まこと一つが目当てです。まこと一つを間違えなければ信仰は、野原でも出来るものです。あなたの目の前にある石ころが、私の手入れしようとする苗木が、仏さまなのですよと、諭されたと。

坂村真民氏の詩には、仏さまに通じるものを感じていますとも親先生のお話しにはありました。

  

明日からは、桃の節句の季節、新型コロナウイルス感染症対策は、いよいよワクチン接種が視野に入るまでになりつつあります。数多の病持ちとしましては、副作用などの心配が少ない、新薬や更なるワクチンの開発などに英知を集めて頑張って頂きたく願うものです。

(合掌)

管理人