令和6年12月のブログ

当日は、一年間御礼清掃の日でしたが、生憎の天候で、私何ぞ遅刻ギリギリの駆けつけとなり、先生所有の4WDで送り迎えまでしていただき、心からの感謝です。今年は、水子地蔵さまの狭い間にも総代様の背負い式エンジンブロワーが入り、頼もしい限りです。境内も残すことなくきれいになりありがたいことです。雨天ながら、〝落葉のくごし〟も叶い、当初の雪模様も回避できました。感謝申し上げることです。

  

親先生より、12月は、「以心伝心」(いしんでんしん)『心と心を結ぶ、大切なもの』、といただきました。 現代能力開発(研)高橋浩所長・著、「禅の智慧・ものしり辞典」から頂戴しました。先ず、国語辞典には、「言わず語らず暗黙のうちに伝えること」とあります。実際我々は、「打合せの時間を取れなかったが、Aとは、以心伝心で会議を乗り切った」というように使うことが多い、と・・・あります。

禅語としての「以心伝心」は、やや意味が異なると…。〝Aの意思が無言のうちにBに伝わる〟ことではなく、〝Bの仏性(自己に本来そなわっている仏性)をB自身に悟らせる〟ことを意味しているからである。つまり、自悟させることが真に伝えることである、という発想法から生まれた言葉なのである。

この典型例は、ブッダと迦葉との間にみられる。ブッダは、迦葉に目配せをしたのでなければ、咳払いをしたのでもない。みんなの前で、蓮華(れんげ)を拈(ひね)っただけであるが、迦葉は自分で己の仏性を悟り、微笑したと…。以心伝心が成立したのである。迦葉の(ブッダの…、ではなく)心を以って、迦葉の心を迦葉の心に伝えたのである。

ブッダ自身は、『以心伝心』という言葉を使わなかったようであるが、現在の禅の開祖である達磨(だるま)大師は、以上のことを自覚的にとらえ、何度も口にした。達磨の著とされる『血脈論』では、「不立文字(ふりゅうもんじ)」といっしょに、この語を並べている。『円覚経(えんがくきょう)大疏鈔(だいそしょう)』(圭峰宗密(けいほうすみつ)著)によると、達磨は仏法の基礎とすら考えていたらしい。すなわち、「大師答えて伝く、我が法、以心伝心、不立文字を以(もっ)てす。」とである。「大師」とは達磨のこと。宗密は別の著『禅源諸詮集都序』で、達磨のこの答を説明する。「達磨は法を天竺(インド)に受けて……但(た)だ心を以て心を伝うるのみにして、文字を立てざりき」、というようにである。

  

「以心伝心」を強調したのは、もちろん、達磨ばかりではない。『伝心法要』(黄檗希運の語録)では、「以心伝心」を「正見(しょうけん)」(真正の見解(けんげ))とすら言ってのける。「故に学道の人は直下(じきげ)に(ズバリ)無心にして(無心になって)、黙契(もくかい)するのみ、心を擬(ぎ)すれば(心の志向・はからいが働けば)即ち差(たが)う。心を以て心を伝う、此れを正見と為(な)す」、というようにである。「黙契」とは、言語道断の項で説明したように、師と弟子が、言句文字を離れて意思を通じ合う〟ことだ…。

  

このように見ていくと、「以心伝心」が大層高度なものであることに気付くであろう。第一に、師の方が正師でなければ、これは成り立たない。弟子が悟ったのを気付かないようでは、ブッダが迦葉に言ったようには言えないからである。第二に、弟子の方も教えてもらうのではく、自分で悟るのだから、よほどの修行が必要になる。弟子が師のレベルに達し、師もそれを認識する目を持っていて、初めて「以心伝心」となるのである。

そうして、この「以心伝心」で、ブッダ、迦葉、……と、現代まで続いて来たのである。

(以下、略…。)

(合掌)

(管理人)

遅くなりました…令和6年11月のブログ

親先生より、11月は、「破顔微笑」(はがんみしょう)『顔をほころばせて、にっこり笑う』、といただきました。(秋月 龍民(Akizuki ryoumin)著・「無門関を読む」より)

  

世尊は、昔、霊鷲山(りょうじゅせん)の集会で、華を取ってみんなに示されました。そのとき、みんなは黙っていましたが、ただ迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)おひとりだけが、にっこり微笑(みしょう)されました。そして、世尊は言われました。

「私に正法眼蔵(しょうほうげんぞう)・涅槃妙心(ねはんみょうしん)・実相無相(じっそうむそう)という微妙(みみょう)の法門がある。不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん)というやり方で魔訶(まか)迦葉に付(わた)した。迦葉、嘱(たの)んだぞ」

世尊(シャーキャムニ・ブッダ)は、むかし、霊鷲山の集まりで、一枝の花を取り上げて、大衆の面前に示されました。そのとき、人間天上八万四千の大衆は、せきとして声なく、みな黙然(もくねん)としているだけでした。ただ迦葉尊者がおひとり、それを見てにっこり微笑されました。世尊は言われました。「私に正法眼蔵・涅槃妙心・実相無相という微妙の法門(おしえ)がある。不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうがいべつでん)という仕方で、私は今これを魔訶迦葉に付嘱した。  

注) 拈華微笑は、お釈迦様のなされたことが、拈華(つぼみをつまむ)であったと、そして、迦葉尊者は、それに答えて「破顔微笑」されたのでしょう……。

  

本文は、禅の起源といわれる有名な公案で、「四十九年、未顯真実」、きょうこそこれまで、四十余年の説法で顕(あらわ)さなかった、とっておきの説法をするとのことで、どんなにか奇特な教えがあるのかと期待して待ち望んでいた大衆の面前にその日の大梵天王(だいぼんてんおう)という在家の信者が供養した一枝の金波羅華(こんぱらず/蓮の花の一種)を世尊は黙ってただスっと示されました。皆様には、すでに天龍「一指頭の禅」でおなじみのところであり、見抜かれたこととぞんじます。その「拈華」の端的に「正法眼蔵・涅槃妙心」そのまま全体露現であることを皆さま見抜かれたことでしょう。そのときの世尊の「拈華」を、ひとり迦葉尊者だけが、にっこり「微笑」して受け止められたのでした。

唯仏与仏――ただ仏と仏――両鏡相対(りょうきょうあいたい)して中心影像(ようぞう)なしです。

このようにしてはじめて大法は、師から弟子へと相続されるのでした。そのとき文字を立てず、教えの外に別に伝える(教外別伝)という「以心伝心」というやり方で、いま法を迦葉に付した迦葉よ、嘱んだぞ、と言った釈尊でありました。

これ以後、伝統の禅の印可のあり方は、師は、ただ弟子が自分と同じ境涯に到達したときに、「そこだ」と、そのことを証明するだけなのです。禅は「仏心宗」と称し、「仏教の総府」と言います。釈尊から迦葉へ、迦葉から阿難(あなん)へと「仏心」を伝え、西天の四七すなわち達磨大使は初祖迦葉尊者から、四・七=二十八番目の祖師であり、そして東土の初祖達磨から、慧可(えか)へ、慧可(えか)から僧璨(そうさん)へ……と、東土の二・三すなわち達磨大師から六代目の六祖慧能(えのう)禅師にいたって、ほんとうに中国化した禅となったと、あります。

今日の学者は、釈尊の仏法をいわゆる原始経典の中にだけ探ろうとします。そして禅宗などは、釈尊の根本仏教から見れば、はなはだしく変容されたものだと言うと……。しかし、大乗仏教が「非仏説」であろうとなかろうと、こうして人から人へ、仏から仏へと伝えてきた「人法(にんぽう)」をどうして文献以下に見て良いものでしょうか。長い歴史の変容発展があることは事実でしょう。しかし、長い歴史を貫いて、人から人へと伝えられた釈尊の「正法眼蔵(正しい真理を見る眼))・涅槃妙心(不生不滅の悟りの心)」、そこにこそ仏教の仏教たるゆえんがある、……と。

  

無門は評して言う――

 黄色い顔をしたゴータマは、人もなげなふるまいをして、良民を圧(おと)しめて奴隷にし、羊の頭を店頭にかけて犬の肉を売るような、インチキをされた。どんな奇特な説法をされるかと思っていたのに、【なんだ、こんなことか。】例えば、あのとき、迦葉(かしょう)だけでなく、大衆がみんな笑ったとしたら、正法眼蔵はいったいどのように伝授したのか。【あのとき、迦葉が笑ったから良かったが】、もし迦葉が笑わなかったら、正法眼蔵はいったいどのように伝授したのか。もし正法眼蔵なるものが、伝授されるものなら、黄色い顔をした爺さん(釈尊)は、【純朴な】村里の人々をたぶらかしたことになるし、また、もし、正法眼蔵に伝授はないというなら、なぜ、迦葉ひとりだけを印可したのか。

無門は頌っていう——

  花とりあげて、しっぽが見えた。 迦葉の微笑、人・天、 処置なしだ。(以下、略)

 

(合掌)

(管理人)

 

 

遅くなりました…令和6年10月のブログ

親先生より、10月は、「忘己利他」(もうこりた)『己を捨てて他を利すればいい、そうすればまっさらな皆が幸せになる』、といただきました。

『奈良康明著』「仏教名言辞典」から、「他を利するとは、即ち自らを利するなり」と、展開させていただきます。
〈出典〉インド、ナーガールジュナ(竜樹・著、150年~250年頃)、「十住毘婆沙論」七巻、後秦、鳩摩羅什・訳」

  

  他利即自利

〈解説〉言うまでもないことながら、私たちは社会の中に生きている。一人で無人島にいるわけではない。だから、他人とともに生きざるをえない。ともに生きるなら互いに不愉快にならぬよう気を付けなくてはならないこと、自明の理である。それなのに、みんながエゴを振りかざして、自己を主張するものだから、世の中は自我がきしみあって、まことに不自由である。自由とは「自らに由る(拠る)」と書く。拠るべき自分がエゴの自分なら、その自分の自由は、必ずや、他人の自由とぶつかる。お互いに不自由になるのも無理はない。

仏教の基本の考え方は、みんながともに生きてゆく世の中だから、他人をわが身にひきあてよ、という釈尊の教えにつきている。だから、「他を利する」からといって「自らを利する」ことを否定するのではない。自らをたてるのに他をおしのければエゴで世の中はどうにもならないし、逆に他をたてて、自らがつぶれてしまったら、それは愚かである。他人の利が自分の利に連なる考え方と行為をしようと言っているのである。

  

商人は物を売って利益を上げるが、お客は商店があるからこそ、金さえだせば、すぐに物が手に入るという便宜を得ている。互いに他を利して、自分の利を得ている。物を作る職人も同じである。大工さんなら、金をもらって家を建てるのだが、これも相互の利の交換である。

金を払ったのだから、家を建てるのは大工の義務だ! というのではなくて、相互に利を与え合っている…と、考える。と、…仏教は、教わる。そこから、お互いに「お陰様で」…、と、感謝しあう共感が生まれてくると、……。

(合掌)

(管理人)

  

遅くなりました…令和6年9月のブログ

親先生より、9月は、「無為」(むい)『まっさらな心に、戻ってみましょう』、といただきました。 久しぶりに、中村元先生の「岩波仏教辞典」を拝読させて戴くこととしました。

無為は、一般には、何もしないでぶらぶらしていることや、平穏無事なさまをいったり、また、老荘思想では、作為的でない、自然なままのことを意味するが、仏教では、原因や条件《因縁(いんねん)》によって作り出されたものでない。不生不滅(ふしょうふめつ)の在住をいう。涅槃のことを《無為》というが、それは涅槃が生死輪廻(しょうじりんね)を超越した、不変のものであることを表現したのである。

  

そして、以下は、奈良康明著による仏教名言辞典から拝読しております。

【どのように友を作ろうとも、どのようにつき合おうともやがて人はそのようになる。つき合いとはそういうものである。】

〈出典〉インド、原始経典『ウダーナヴァルガ』25.1。

〈解説〉釈尊は悟りをひらき、当時のインドにはなかったキラキラした教えを説いた。それは新しい価値観の創造であり、当時の社会に広く受け入れられた。しかし、当時の倫理のすべてを否定したわけではない。だれでもが認める人生の知恵を仏教の世界観の中で確認しているものも少なくない。

  

この一文も「友」と名づけられた一章の一つで、人はいかに友人に影響されるかを説いたものである。この章には、ほかにも、くさった魚を包めば、匂いの良い草さえ悪臭にそまるし、香木とともにあれば臭いのひどい葉も芳香を放つ。毒を塗った矢を矢筒の中に入れると、他の毒を塗っていない矢を汚す、等という比喩をあげている。

善悪、いずれであれ、私たちは友人からさまざまに影響されることは当然である。仏典は、より具体的な例として、賢者と交わると知恵を磨き、真実を見分けることができる、とか、自分では悪いことをしていなくても、悪人とつき合っていると同じ悪事をしているのではないかと疑われ、評価を落すともいう。「朱に交われば赤くなる」という諺があるが、その仏教版である。

(合掌)

(管理人)