秋らしい中でのご恩日

昨日までの異常な暑さの夏日から、一転、木枯らしに冬らしさを感じることでした。そして近隣では既に落葉している銀杏や紅葉がいまだ緑色を残していることに驚かされます。親先生のお話しからは、この境内(堂床山)が遠い昔(約1400年前と言われている)山体崩壊して、最大10メートルを超える巨岩の海を形成し、その巨岩の間を清水が流れて(地名ともなっている)いるため、夏は涼しく、冬は比較的暖かい山懐となっているためではないかと考えていらっしゃるようでした。今日のご恩日法要は位牌堂でしたが、近くに、鏡が吊り下げられていて、聞けば、お猿対策に効果があるそうです。今のところ被害の方は、イノシシ、サルですが、これ以上増えないよう祈ることばかりです。

 

親先生から11月は、「永遠に生きるように学べ、明日、死ぬかのように生きろ」( Learn as if you will live forever, live as if you will die tomorrow )といただきました。 これは、インド独立の父、マハトマ・ガンジー( Mahatma Gandhi /マハトマは、「偉大なる魂」という意味)、本名は モーハンダース・カラムチャンド・ガンジー = Mohandas Karamchand Gandhi )の言葉であるとのこと。私流で言わせていただくと、「生きている限り学び続けなさい。そして毎日を生涯最後の一日であるとして悔いの残らないよう最善に生きなさい」とおっしゃっていると思うもの。

 

比叡山で千日回峰行を達成された天台宗酒井雄哉阿闍梨の「一日一生(続)」にも、これと同じような話がありました。それは、お行の心得として、千日回峰行のなかでの思いをまとめておられました。毎日を精一杯頑張ってその日を終えた自分、今日の自分はそこで終わったんだと思う、次の日は新しい自分が生まれてきて新しい一日を生きるんだと思う、その繰り返しなんだと思いなさいと…。そして新しい一日を迎えることが出来てありがとうございましたと、ご先祖様、仏様への感謝の気持ちを忘れないで、「今日もまた新しく始まった一日を頑張りましょう」との思いで生きる一日であると…。

人は誰も、生まれた時から命をいただいて、仏様の世界から見れば人生に借りが出来ていると…。そして、生きていることに感謝し、いただいた大切な命を苦難から救い、更に磨きをかけるべく学ぶ努力をする、それは生きている限り高みを目指すことを続けること、その積み重ねによって自分の人生にお返しすることができる「一日一日」でありたいと…。自分の命もいずれは死を迎えるが、その瞬間まで、精一杯生きることであると…。

 

先日、ボランティアさせて戴いている施設の所長さんに久し振りにお逢いしました。一旦は定年退職されたお身体でしたが、世の中が必要としている人には休みなど無いもので、既に仕事に復帰されていて、血液の病を克服されてのご努力に頭のさがる思いでした。私の場合は、65歳で難病と決められて退職したものでしたが、お陰様で病の進行が極めて遅く、経験を活かしたボランティア、生涯学習としての写経、写仏、そして、このようにブログまで書かせていただけることに喜びを感じ、学ばせて戴ける一日一日に心から感謝するものです。学びたい心が病を押し止めているとも感じてしまいます。今更の(反省ばかりの)人生ではありますが、出来ることからお行させて戴きたくお願いするものです。

新型コロナウイルス撲滅のために努力されている関係者の皆様には心から応援させていただきたいものです。そして、新薬やワクチンの開発、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願って祈願するものです。また、今年は日本近海の海水温の高いこと著しいとか、ラニーニャ現象が寒い冬を告げているとか、ともかくも被害無きよう重ねて祈願するものです。

(合掌)

管理人