先の日曜日は、お不動様ご縁にて、ご恩日法要でした。ただ、前日あたりから秋の気配が満ち溢れ、お山(境内)は吹き渡る風で涼やかになり、ホッと、案度の声がきこえそうでありました。日当はといえば、勿論、残暑といいますか猛暑で、暑いことですが、日陰の爽快なことに驚きの声を漏らすことでした、お山の深緑はまだまだ深く、百日紅やムクゲなど夏の花も相変わらず咲き競っています。 そして、親先生から8月は、「同事(どうじ)《相手の立場に立つということ》」と、いただきました。道元禅師による『正法眼蔵』の『菩提薩埵四摂法』として『布施』、『愛語』、『利行』、『同事』が簡潔美を節々とまとめ上げていると感じるものでした。
《原文》一者(は)、布施。二者(は)、愛語。三者(は)、利行。四者(は)、同事。 その布施というは、不貪(ふとん)なり。不貪というは、むさぼらざるなり。むさぼらざるというは、よのなかにいうへつらはざるなり。・・・中略・・・。 《現代語訳》ひとつには、布施。ふたつには、愛語。みっつには、利行。よっつには、同事。その布施というのは、不貪、すなわちむさぼらざることである。むさぼらないというのは、世の中にいう諂(へつら)いのこころなきことである。・・・中略・・・。
《原文》愛語(あいご)というは、衆生をみるにまず慈愛(じあい)の心をおこし、顧愛(こあい)言語をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。・・・中略・・・。 《現代語訳》愛語というのは、衆生をみていつくしみ愛する心をおこし、心にかけて愛のことばを語ることである。およそ荒々しいことばはつつしむことである。・・・中略・・・。
《原文》利行(りぎょう)というは、貴賤の衆生(しゅじょう)におきて、利益(りやく)の善巧めぐらすなり。たとえば、遠近の前途をまぼりて、利他の方便をいとなむ。・・・中略・・・ 《現代語訳》利行というのは、貴きと賤しきをえらばず、人々のために利益となるように手立てをめぐらすことである。
《原文》同事(どうじ)というは、不違(ふい)なり。自にも不違なり。他にも不違なり。たとえば、人間の如来は人間に同ぜるがごとし。人界(にんかい)に同ずるをもてしりぬ。同余界なるべし。同事をしるとき、自他一如なり。・・・中略・・・。 《現代語訳》同事というのは、違(たが)わざることである。自己にもそむかず、他者にもたがわず、たとえば、人間界にあらわれた如来は、人間界の住みびとにまったく同じたもうたごとくである。人間界にあれば人間界に同じたもうたのであるから、如来はまた余(ほか)の世界にあれば、その世界に同じたまうであろうと知られる。つまり、同事ということを知るとき、自も他もまったく一如なのである。・・・中略・・・。
宗祖お上人様の語録『心のともしび』にも「自他一如」の御教えがあります。お上人様には、「自分と他人との間に何のへだてがありましょうか」と、教えくださっています。日頃、言葉を用いて生活している私たちには、すべて物事を分けて考える習慣がついてしまっていると…。 しかし、分別することは、時に執着や偏見を生み、煩悩のもとにもなると…。 自分と他人の区別のように、分別の世界を超えた、つながりの世界から物事をとらえる智慧のことを「無分別智(般若)」というと…。 この無分別智を身につけることが、般若波羅蜜の実践であり、仏様のような心に近づいていく菩薩の修行であるとお教えいただいております。
新型コロナ感染症は、第7波が蔓延しつつあり、近所でもクラスターの発生が聞こえてくるようになりつつあります。どうか、無理をせず、基本の対策を徹底していただきたいと願っております。来年こそは、インフルエンザ程度の暮らしができるように強く祈願したいものです。
( 合掌 )
(管理人)