梅雨の晴れ間のご恩日

久し振りのご恩日法要でした。境内のお山は梅雨の空気に包まれて緑濃くむっくりとしています。麓には合歓の木の花が広がり、本堂にはクチナシが真っ白い花を付けています。 結願の百万遍で使用する数珠は、アルコール除菌され、新型コロナウイルス対策に手を尽くしておられました。また、ご法話でも、新型コロナウイルスの終息に向けて心をひとつにして祈るため、宗祖上人さまのご示寂の時刻(亡くなられた時刻)の午前10時20分に合せ「宗祖上人様ご宝号(南無覚恵上人大菩薩)を7回、そして新型コロナウイルスの終息を願う言葉を唱えましょう」と呼びかけられました。不安な世相ではあっても、みんなが、世界中の人々が安らぐようにしたいものとのこと…。

 

親先生から6月は、「常が大事」といただいております。

「常(つね)」とは、ふだん、平素といいますか空気のように流れて行くもののように感じます。曹洞宗朝日大岳師の「気持ちがほっとする禅のことば」には「一行三昧」という言葉があります。中国第六禅祖慧能禅師の説法をまとめられた「六祖壇経」にあることばで、心に雑念を起こさず、ひたすら修行(座禅) することを言うそうです。一行三昧は「不退転の心」や「決定心」とは、ほんの少し違っていて、「狎(な)れない」、「わき見をしない」ことだそうです。つまり「初心忘れず」の状態を「常」として続けていることであると。

 (注): 「狎(な)れ」とは、手の甲に唾を落として犬に舐めさせると舐めた犬は二度と吠えなくなることから出来た漢字であるとのこと。

 

難しいことや困難なことを「一行三昧」するのではなく、明るい挨拶をする、荒いことばは使わない、お料理は全部よく食べよう、履物は揃えて置こう、約束はきちんと守ろう、子ども達には優しくしよう、「ありがとう」・「おかげさま」・「すみません」がいつでもいえるようになろう。そう思うことが大事、思ったら続けることが「一行三昧」であると。

「常」は、「いつもどおり」とも読めますが、心をいつもどおりに保ちたい時もある。その時は、心に平常心を育てています。これから始まる大一番勝負の直前に、大切なことは、「常」を保つこと、それは、「いつもどおり」にすること…、般若心経のお勤め…、そしてストレッチ…、ともかくも、「常…、いつもどおり」であると。

 

「常が大事」とは、お勤めであり、ご縁であり、お同行さまであり、ご近所さまであり、諸々の日常であると感じます。忘れることなく出来ていれば先ずはよしとしたいものですが、なかなかに難しいものと…。

そして、決して常とならぬように新薬やワクチンの開発が待たれる新型コロナウイルス禍ですが、その一日も早い終息を強く願うものです。

(合掌)

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