御廟参拝に初参加

6月は梅雨入りしたものの、雨が降らず、寒暖の差が大きい日々が続いていて、体調が思わしくなかったのですが、急に思い立って御廟参拝に同行させていただきました。当初より参拝ご予定の皆さまには、さぞかしご迷惑をお掛けしたことと申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、ご迷惑をおかけしつつも本当によい参拝をさせていただいたと、このうえなくうれしく、感謝でいっぱいの2日間でした。

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大本山での初めてのこと尽くしでした。 初日の勤行は観音経、半分も読み上げられず不甲斐なさの思いが残ることでした。そして翌朝のお行は日々のそれに同じく出来てほっとしていましたが、親仏様、お上人様のご宝号などいただいていると思わず涙があふれることで、訳の分からない吾が身に感きわまったものでした。祈願祭のご法話では、「当宗は仏教の一派ですがあなたは仏教徒ですか?」と聞かれドキリとしつつも、日々の一生懸命が、人様のために何ができたかが、そして無欲であられたか、そのことこそ「信心積徳」であるといただきました。奥之院では、開山堂、燈籠堂、八角堂、そして御廟にお参りでき、感激し、ただ感謝し、おすがりするのみでした。

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出発直前の追加参加をさせていただき、お同行の皆さまには座席を譲っていただくなど大変なご迷惑をお掛けしたにも拘らず足腰の悪いところなど隅々にご心配をいただき感謝でいっぱいです。本当にありがとうございました。

 

(合掌)

 

管理人

水無月のご恩日法要

体調が今ひとつではありましたが、月始めのご恩日法要にお参りしたいとの思いが通じあってのことか、今日も清々しく、緑深まった境内のお山に優しく力強く迎えてもらっているように感じたものでした。

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水無月は、梅雨の花、アジサイが似合う季節ではありますが、まだ時期尚早のようで、蕾が固いままの花が多数みられました。たぶん、ひと雨降って、梅雨の入りを待ちわびているのではないかと思うところです。

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ご恩日法要をいただくにつけて親先生のお話しは、近々の大本山御廟参拝のこともあり、宗祖上人様のエピソードと言いますか日常言行の一端をご披露されました。

お上人様のもとへ来る信者の中には、貧しい者、不治の病を持つ者、悩みに進退窮した者などが大勢いましたが、お上人様は、そのすがる気持ちを察せられて、腹の減った者には食事を、お金のない者には帰りの旅費を施されてました。金銭を渡されるときには、相手の自尊心を傷つけないように、「あなたが元気になって、働けるようになり、返せるときに返せばよいのですよ」と、細かいところまでも気を配っておられました。中には初めから、大本山での食事を当てにして来る者もあり、徒弟たちは咎めようとしましたが、お上人様は、「ここへ来るからには、よほどのことです」と、徒弟たちをたしなめられ、食事の上に、旅費まで与えられていました。

そのため、宗祖上人様のお手元は、いつも乏しく、お上人様は、お同行様の食べ残しものを集め粥にされて食べておられました。特に、お釜の内に焦げ付いたご飯をかき集めお粥を作っておられるのを見て、「お上人様の釜こさぎ(こげを削り落とすこと)」と信者たちが呼んでいました。

また、信心深い信者さまが不治の病にかかられ、余命いくばくもない時、その病床を見舞われたお上人様は、「あなたの命は、何日のいつまでですが、決して心配することはありません。ありがたいことに、中山不動明王様と二十五菩薩様がお迎えに来られます。安心してお待ちなさい」と言われたと。その刻限になると、それまで昏睡状態であったものが、突然、目を見開いて笑みを湛え、「お迎えいただきありがとうございます。お供させていただきます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と息を引き取った。その時刻が、お上人様の予告と一致していたので、周りの人々は驚き、合掌したとのことです。

このようなお話しをいただくと直ぐに目が潤んでしまいます。それにつけても人様のためにわたしには何ができるかと考えるとき、数えるに余る病持ちのわたしとしては、全く肩身の狭いところです。御廟参拝についても、参加したいとは思いつつも、頂上のお不動様まで登れるか?とか、個人的制約を考えてしまいます。まずは、体調の回復に、そしてその体調に合わせたお行を願うことから始めつつ、これまでの反省をしたいものと思うものです。

(合掌)

管理人