雨もなく暑さもなく御行清掃

今日は恒例の御行清掃です。日頃の感謝を込めて思いっ切り綺麗にしたいところですが、あいにく体調がすぐれず、階段の落ち葉を掃き集める程度が精一杯、奥の院からの参道の手直しされているお同行様に感謝しつつも、情けない始末となってしまいました。それでも、大雨の予報が徐々に変化し、当日は、曇りの天候となって、皆さん、お不動様に感謝されたであろうと思う一日でした。今日は、梅雨の花に加えて柿の木の幹に風蘭の白い花を始めて拝見するという嬉しい出来ごとがありました。ご縁に感謝です。

 

親先生から7月は、「堪忍は一生の宝」といただいております。「堪忍」は苦難を耐え忍という意味で用いられ、雑阿含経を始め多くの用例がある(岩波仏教辞典)と…。この「堪忍」の徳は得難い利益をもたらすものであり、一生の宝として大切にすべき」であると…。 お釈迦様は、「敵意ある人々の中にあって、自ら敵意を抱くことなく、幸せに生きること」(インド: ウダーナヴァルガ30.47)、と言っておられます。私たちは様々なしがらみの中で生きていて、殴られたら殴り返せというのが普通ですが、仏典では、自分だけは敵意を抱くな、と説いています。素朴な感情として、そんな馬鹿な、と反発する。しかし、その心を転換しなければ心の安らぎは得られませんよ、幸せにはなれませんよ…と、お釈迦様は言っておられます。(仏教名言辞典より)

 

話しは遠く15年前のNHKラジオのテキスト「般若心経を語る・松原哲明師」になります。 般若心経冒頭の部分には「…照見五蘊皆空 度一切苦厄…」とあり、すべてのものは空であり移ろい変わっていくということを見極めなければならない。物にこだわることから生じる苦しみや災いは全て乗り越えることができる…と。 ある製薬会社の営業マンのお話しですが、当時の世相を反映して成果主義の会社は、土下座してもノルマ達成だったそうです。 ある時、その製品を服用しての副作用で出血があったとクレームが入り、主治医、患者さんを訪問、すると、「副作用は我慢するから、その薬を続けたい」との訴えがありました。血管が詰まり、脚を切断することを避けたいとの理由でした。その時、初めて、治療に献身的なドクターと藁にもすがりたい患者さんの思いを知りました。その日から、患者さんのアドバイザーとして営業すると誓い、必死で勉強し、「君のおかげで助かった」と主治医から感謝され、仕事への考え方、人生観を変える大きな転機になったとのことです。人それぞれに苦しみがあり、それは他人からみれば些細なことであっても、本人にしてみれば死ぬか生きるかの問題ということもあります。それは過去を引きずって無心になれない自分がいるからだと…。すべてが空と説かれています。堪忍も容易くなるのではないかと…。時はまさに新型コロナウイルスとの戦いの最中です。ツワモノ医療関係者の活躍あれ……。

 

新型コロナウイルス撲滅のために努力されている関係者の皆様には心から応援させていただきたいもの。そして、新薬やワクチンの開発、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願うものです。

(合掌)

管理人

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です