束の間のお参りには、嬉しい知らせ

八月は猛暑に耐えて身動き出来ず、やっと先週あたりから小雨も降り、朝晩の涼しさにホッとするこの頃です。午後のお参りとなりましたが、境内のお山は青々と瑞々しく、薫風が吹き渡って、久しく涼しさを届けてくれる、境内の広葉樹の森には巨岩が広がり、その岩肌からは、耐えることのない湧水が溢れ出し、吹き抜ける風を涼しく冷やしてくれるのでしょう。 興味を持ったのは、親先生から伺っていた、その湧水の水質検査結果です。別の健康の話で「アルカリ性の湧き水が糖尿病に効く」と漏れ聞いていましたが、お山の湧水もアルカリ性の水(水質は抜群に良い)ではありませんか・・・アルカリ水は腎臓に働いてその機能を改善するそうです。次回、親先生のお許しを戴いて、この次のお参りには必ず、お水を戴いて帰ろう・・・などと思うところです。

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親先生には、今月、「本来無一物(ほんらいむいちもつ)心を曇らせているのは自分の妄想。もともと何も無いのだと知ること」と戴いております。中国は禅の開祖達磨大師の五祖弘忍(ぐにん)禅師の弟子に「神秀(じんしゅう)」と「慧能(えのう)」という高弟がおられ、跡を継ぐための「修行の心境を偈にまとめる」試験が行われ、最も信頼の厚い神秀が「身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し、時々に勤めて払拭せよ、塵埃をして惹かしむること莫れ(身体は、悟りを宿す樹のごときもの、心はもともと清浄で美しい鏡のごときもの、故に常に汚れぬように払ったり拭いたりして、煩悩の塵や埃を付けてはならない)」と、修行の大切さをうたい上げました。これを見た慧能は、不十分と批判し、その夜「菩提本(もと)樹無し、明鏡も亦(また)台にあらず、本来無一物、何れの処にか塵埃を惹かん(菩提という樹も、明鏡という心もない、菩提も無ければ煩悩も無い、本来無一物だ。塵埃のよりつくところもないから、払拭の必要もない)」と和韻し、弘忍禅師は、慧能に禅法を伝授したそうです。(禅語百選:松原泰道著より)

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慧能禅師は、南方に下り南宗禅を、神秀禅師は、北方にて北宗禅を開かれたそうですが、南を頓悟といい、北を漸悟と言って、北はぼちぼち進めるそうです。わたしなど、毎日が失敗の積み重ねでもあれば、北の進め方を真似ることしか出来ないように思うのですが・・・・・。

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(合掌)

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