【韓信の股くぐりのほんとうの意味】
「千人の股をくぐるとも一人の肩を超すべからず」、十年一昔と申しますが、十年頃前は、度牒(どちょう)を戴いた方つまりお得度を受けたお方は、必ずこの言葉を耳にします。しかし、この言葉を聞いてもその意味の何たるかを解せないお方、或いは迂闊な受け取り方で済ませているお方もおありのことと存じます。
おじひのおみのりの門に入らせていただき、ひたむき行願にいそしんだ結果、晴れて受戒入位即ちお得度を受ける身となり、お導きのために新たに生まれ変わった者として是非とも心掛けねばならぬ大切なことがあると大悲の親様よりおさづけいただいたこのお諭し。言葉は簡単であってしかも計り知れない意味を含んだこの言葉。明治、大正時代の人ならば、ああそうかと合点せらるることと思いますが、「韓信の股くぐり」としてあまりにも知られすぎた故事があります。
昔々、今の中国が沢山の小国に分かれて群雄割拠していた時代のことです。当時、漢という国の土地のうらぶれた市井(町)に、准陰というよからぬ若者がいました。同じ頃、この国に韓信という志士が住んでいました。立派な風采をした巨人、漢で平常天下の国士を以って任ずるだけの人ですから身にはいつも刀剣を帯びていたのであります。この韓信がふとこの町を通りかかった所、折り悪くこのよからぬ若者にからまれてしまいました。若者が韓信をあなどって言うには、「お前はガラが大きく好き好んで刀をたばさんでいるが、その実内心はおじけやすいに違いあるまい。どうだ、ほんとにお前に勇気があるならばこの俺をその刀で切ってみろよ、どうだ俺が切られるかい」とすごい勢いで詰め寄ってきました。丁度そこへ通り合わせた沢山の衆人もこれに和して韓信をはずかしめて言うには、「そうだ、そうだ、その剣で俺等が刺せるかね、刺せるなら刺してみよ。それが出来ぬ弱虫なら仕方がない。許してやるから俺等の股をくぐって出てこい。さあ、どちらだい」と、これほどの辱めを受け、天下の志士韓信、さぞや怒り心頭に発してあわやこの者達を一刀のもとに切って捨てるかと思いきや、実はそうではなかったのです。韓信は、じっとこの人等を正視しながら静かに静かに落ち着きはらいながら、やがて背をかがめたかと思うと頭をたれてこの人達の股下を一人一人うながされるままにくぐり抜け、はいつくばって出て来たのです。市井の人々は韓信のぶざまな動作を嘲笑って卑怯呼ばわりをしない者はありませんでした。ところが、ここに蕭難之という賢人がこの韓信の行動を聞いて、大変に感心し、時の国王である高祖に推薦して言うには、韓信のような者は国土無双であります。国を治めんとする志士としては、実に並ぶものがありません。「王、天下を争わん欲せられるならば、韓信のようなものでなければ、供に事を計るものは他にありません」と、韓信は後に高祖に重用せられ大功をたてたということであります。
【下座行こそ大切な行願】
私どもは、この「韓信の股くぐり」の故事をいかに受け止めたらよろしいか。ちなみに明王部の本尊でご誓願によっておじひのはたらきが異なってきます。不動明王のおじひは奴僕三昧であります。しもべ、やっことなって行者に給仕したまうお姿、つまり下座行こそご本尊中山不動の親様菩提行であります。み親のおじひをそのままおじひと身につけさせていただかなければならぬ私ども、日本の国のはしばし至るまで救うて助けてゆかねばならない尊い使命をさづけられている私ども、なさんとする願は広くて大でなければなりません。大志、大行願はどこまでも猛く、たくましくなければなりません。ただしながら、その願はたとえ遠大であろうとも慈悲を根本とする仏弟子たるもの、身はつねに三才の子供の足下をも礼拝する低身のものでなければならぬ、「韓信の股くぐり」の教える真意も実にここにあるのではないかと思うのです。
下座行こそ私どもに課せられた大切な行願であることを深く考えるべきではないでしょうか。
【ひろやかな度量をもって】
次に一人の肩を超えるとは、人は大小多少によらず、ほとんどと言ってよいほど皆高慢心の持ち主でないものではありません。(勿論、高慢心も時によって向上の心=励みの原動力となるよい意味の場合もある。)この高慢心も何もない時には、影をひそめていますが、他よりあなどられ、そしられ、たたかれ、恥ずかしめられた時、忽然と怒りの姿と変じてあらわれてきます。お互いが感情のとりことなって心と心がいがみ合い、対立し合い、感情のしこりはいつはてるとも知れず、心の遺恨はついにぬぐい去ることが出来なくなるでしょう。親子夫婦間の溝、兄弟姉妹間のトラブル、友人同士の対立も他の事情に原因するとは言え、多くは他をおしのけてもわが我(が)を通す、いわゆる一人の肩を超える心の軽はずみ、心のゆるみから、慎みを忘れた心のスキから起因するものでありますから、信仰に生きる私ども身語正宗人は願わくば己が分限をよくわきまえて、わが我にまかせて相手に対していささかでも不快感を与えないように心すべきは勿論、常にひろやかな度量をもって他を容れるべきではないでしょうか。
昭和47年9月刊行 「めぐみ」より 瀧光寺初代新治照道親先生