今年も異常気象の模様です。6月に入ってからも梅雨入りはお預けで、春先に逆戻りしたような寒々しい毎日が続いております。我が家の燕たちは、それでも第一組が巣立って行き、第二組の巣作りが始まっているなど、季節の遷り変りは休むことなく進んでいます。紫陽花、杜若、躑躅、山百合など、初夏の花たちが出番を迎えています。境内のお山は、緑のいよいよ深く雄大に見守って戴いているよろこびに包まれます。
親先生には、ご法話の中で、「乞食(こつじき)」について触れられ、ご自身も若い頃、托鉢の経験があるとのこと、乞食は施しを受けることではあるが、すべてがそのようではない、罵声を浴び、罵しられ、水をかけられるなどの苦い対応を迫られるのも心を養う修行であると。 中村元先生の語源辞典には、「乞食」について、古来インドでは、晩年に達した人はあらゆる執着を捨てて各地を遍歴することが理想とされていたと。この時期は「遊行期」とよばれ、そういう人は乞食のみによって生活を支えたことから「比丘」と呼ばれたと。それが仏教にも取り入れられ、仏教の比丘も在家の人々から施食を受けたと。これが乞食で、生命を支えるだけの最小限の食事とされ、しかも、午前中のみ許されたと。釈尊も鉢を手に乞食に出たのであろうと。後世、中国で、托鉢と呼ばれるようになったなどとあります。
また、親先生から6月は、「滋眼(じげん)~褒めて伸ばす、叱って伸ばす、慈しみの籠った目、慈悲のまなこ~」といただいています。慈悲の心をもって衆生を見守る仏・菩薩の眼であると。それは、子供を見守り育てる母の眼でありたいもの、現在の子育て難時代、地域に暮らす人々にも求められている見守る眼ではないかと。今年、全米テニス、全豪テニスを優勝した大阪なおみさんは、サーシャ・バインさんというコーチと連携して対処し、試合中に徹底して我慢するというメンタル面での成功が奏功したのではないかという論評でしたが、コーチもまた、慈眼の持ち主だったのではないかと思うのは飛躍し過ぎでしょうか。ご縁をいただく方々にも慈しむ心(眼)を忘れぬよう努力したいものです。
(合掌)
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