リタイヤしても病院通いなど何かと多忙を感じる日々の都合と都合の合間をぬって、お参りさせていただきました。感謝。お盆を過ぎてから朝夕の涼しさが際立つようになっていますがヒオウギスイセンなど夏の名残の花が残ってはいるものの、もみじ、南天、マユミなど、すでに青々とした実をつけて、秋を今かと待ちわびていました。お山には既に栗の実を食べるべく野猿の群れも訪れていると聞き秋を感じるお参りでした。
今月の親先生からは「拈華微笑(ねんげみしょう)《花をとってほほえめば、言葉を超えて通いあう心。》」と、いただきました。 これは、世尊拈華ともいわれるお釈迦様のエピソードであるとのことです。 ある日、お釈迦様は、説法の座についておられましたが、説法はされず、おもむろに金婆羅華(こんぱらげ)という蓮華を一本聴衆に示されました。みんなは、意味がわからず沈黙しましたが、弟子の一人摩訶迦葉(まかかしょう)だけが、にっこりと微笑んだそうです。それを見てお釈迦様は、「われに正法眼蔵(しょうほうがんぞう)、涅槃妙心(ねはんみょうしん)、実相無相(じっそうむそう)、微妙(みみょう)の法門あり、不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)、摩訶迦葉に付属(ふしょく)す・・・・・・私には、全てを照らし包む正しい教えや妙なる平安の心、形を持たない真実の姿、優れた教えの道があり、今、文字や経典では伝えられないその教えを摩訶迦葉に委ねよう……。」と言われたそうです。
お釈迦様が差し出された蓮の華を見て、凡人はただポカンとしていましたが、迦葉の微笑みで、お釈迦様は、自分の悟りが伝承されたことを確信し、迦葉尊者は、インド相承(そうじょう)の第二祖となったとのことです。このエピソードから、「以心伝心」という言葉が生まれたとか。
花を手で持つことを拈華というそうです。大切なことを伝えるために熱弁を揮うのではなくて、花を差し出し微笑む、これだけで何かが伝わるということなのでしょう。相手の心に伝えたいことは、時としてむしろ言葉では伝わらないものがあるということなのでしょう。
今を感謝し、今日を感謝し、ただただ感謝し、おすがりしていたいと思いつつのプログのひとときです。
(合掌)
管理人