冬晴れの寒いご恩日

今日は、ご恩日、すっかり冬景色の位牌堂までの参道は、うっすらと氷が張っていて、滑らないよう注意しながらのお参りでした。

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今は春を待つ準備の時季なのでしょう……沈丁花、蝋梅など、花芽が膨らんでもうすぐ咲き誇りそうでした。その一方で、南天、山茶花などの鮮やかな赤が寒い中でほっとさせてくれました。

jinchoge roubai

nanten sazanka

今月、親先生からは「一日一生(いちにちいっしょう)《今日の一日は、一生の一日ではなく、日々がわが一生》」と、いただきました。 この言葉については天台宗の酒井雄哉大阿闍梨の著、「一日一生」があります。同師は、比叡山で、千日回峰行を2回も達成されたという超人とのこと。そのお行たるや、お寺から夜中に出発して山中を40キロ歩き、巡礼し、翌朝に帰着する毎日を七百日、そして更に、お堂に籠もって不動真言を十万回唱え、赤山禅院までの60キロを百日間歩く等々の荒行を二回も達成されたとのこと。

その「一日一生」とは、一日は一生と思って生きる、二度と来ない一日と思って生きる、そうすることで一日が真に意義ある一日になる…そんなお導きを頂戴しているように思えます。そしてまた、その一日のことはその日一日としてみずに流し、恨みつらみを残さないことと…。また他方では、その出来事に思いを巡らして反省するひと時も必要であると…、その一日に感謝することを忘れないでいたいとも思うものです。

今日のご恩日、親先生からは、ご自身の体験のお話しがありました。あるご信者さまのおばあさまが亡くなられ、枕経をあげて光明真言をとなえられた時のこと、その亡くなられた方の表情がたいそう安らかになられたとのことです。死しても耳はしばらく生きていて、一心の祈りを聞き受けとめ、安らかに旅立つのであると……。身語正の信心は、日常の中にあると……一事一物、何事によらず、心から努めさせていただく、そしてすべてを親様におすがりするように、そしていただくおじひのままにこころから勤める……そのようにありたいものです。

(合掌)

管理人

 

一年間御礼清掃日

一年間お世話になりましたとの感謝の気持ちを込めて境内の掃除をさせていただきました。とは申しましても年齢や持病から殆ど役に立たない、それこそ気持ちだけのお行…参加させていただける喜びに感謝することのお行…そんな一日になりました。昨日までのしぐれ雨がようやく止んで、次の寒波の襲来との僅かな時間、暖かさの中でのお行に嬉しく思うことでした。

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境内のお山は、つい先日の紅葉や銀杏の鮮やかな色付きが嘘のように、真冬の佇まいとなっていました。親先生から拝借した銀杏の写真と比べると、すっかり裸になった現在の木々の寒々しさは身が引き締まるものでした。

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信徒会館の周辺でも、モミジの残り葉や、水仙の早咲きなどが心を和ませてくれますが、大方は冬を感じさせます。そして、目に付くのが真っ赤に熟した実だけを付けた寒々しい柿の木、サルはどうして食べなかったのだろう?との疑問に、親先生曰く、「サルも木から落ちる」であると…。柿の枝は折れやすく、実を取ろうとして枝先に行くと、枝が折れて落ちることをサルは知っているそうです。だから、柿の実は食べない・・・。(追加の話がありました。・・・サルは、低いところの実は食べるそうです。低いところでは落ちても痛くないと知っているそうです。スゴイですね、サル知恵とは・・・。)

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今日もまた、勉強になりました。そして、本日も、お同行皆様の足手まといにならぬようご一緒させていただいたことに、さらには落葉焼きの焼き芋のご接待等々感謝するばかりでありました。

(合掌)

管理人