昨日は、今年一年の御礼清掃日でした。来週の寒波襲来予報を前にして、驚くほど暖かく、雲は多めながら、穏やかなお行日和でした。境内のお山は、すっかり冬色に変わっていますが、本堂の周りなど、今年の見納めと、銀杏が最後の葉を落とし、紅葉が黄や赤に色付く様は、例え難い美しさでした。特筆すべきは大木となった黒松の枝葉の剪定でしょうか、信徒会館の昔の姿を思い出させる石庭の出現に大変驚いたものでした。
親先生から12月は、「今日の後に今日はなし」といただきました。手元の広辞苑には、「今日という日は再び訪れることはない。だから、今日出来ることは今日片付けるようにとの戒め」とあります。類義語として「歳月人を待たず」、「盛年重ねてきたらず」などがあると。英訳は「Never put off till tomorrow what you can do today」…。良く耳にすることわざですが、日々、一日一日を大切にそして感謝していただろうかと、ハッとさせられます。今年は、新型コロナウイルス感染症で大変な一年でした。毎日を新型コロナウイルス禍の終息祈願に始終したことでしたが、祈りきれたのでしょうか?
年齢からすると、今日のことを言う前に「お迎えはいつ?」となりそうですが、年齢相応に「今を精一杯生きる」としたいものです。寂聴さんの「寂聴仏教塾」には、中国の曹洞宗の祖師・洞山和尚の逸話がありました。とある僧が「一言でお答えください。いかなるか、これ清浄法身」と問うに、「われ、常に、ここにおいて切なり」と答えたと…。清浄法身とは、生きた仏ということ。つまりどうすれば悟りを開けるか聞いたところ、和尚は「常に、ここにおいて切なり」と答えたと…。切とは、切っても切れないこと、今、自分がしていることに没頭し切ることだと…。食べる時も切に食べる。眠る時には切に眠る。学ぶ時も切、愛する時も切であれと…。死後のことを思い煩うな。今、生きているこの一瞬を切に生きれば、それでいいということ。そうすれば、死を恐れることもない。やがて来るかもしれない別離におびえることもない。地獄行きか、浄土行きかを心配する必要もない。いつ心臓が止まっても、悔いることがない…と。そして、この一瞬一瞬を切に生きる…最高の人生ではないかと…。
最近、体調不良に見舞われ、親先生のお言葉が現実味を帯びてしまうことが多くなりつつあり、今月もその事例のひとつです。今を切に生きたいものと思い、そして出来れば、皆さんにご恩返しというささやかなプレゼントなんか出来たらどんなにいいだろうと…。少しでも、人のために尽くすことが出来れば、それこそ生きる幸せではないかと思うものではあるのですが…。
新型コロナウイルス感染症は、いよい第3波が猛威をふるいつつありますが、撲滅のために努力されている関係者の皆様にはこれまでにもまして心から応援させていただきたいものです。そして、新薬やワクチンの開発、新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を強く願って祈願するものです。
(合掌)
管理人