春の彼岸永代経法要

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暖冬が弾けたような暖かいというより暑さを感じるここ数日の気温でした。彼岸の中日の今日、南の強風だったのですが、お寺のまわりでは全く静かで、幟や吹き流しなど高さのあるものが風に揺れているのみでした。境内も随分と春めいて、菜の花、遅咲き水仙などは満開でした。桜はあと数日という蕾の膨らみがあり、あちこちに薄緑の新芽が広がりつつありました。

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親先生からは、彼岸について、私たちの今があることはご先祖さまのお蔭さまであり、そのお墓を守り供養する日であると。ご先祖さまに生かされていることに感謝することであるとのご法話がありました。 そしてまた親先生には今月、「道(どう):今、ここを大切にして道を切り開く」といただきました。中国・宋の高僧・無門慧開による「無門関」の第十九則には、趙州和尚がその師・南洲和尚に「道とは如何なるものか?」と問うに対して「平常心是道(びょうじょうしんぜどう):へいじょうしんが道だ」と答えたとあります。そこで趙州和尚が「如何に道を踏み外すことなく進めるか?」と問うと、「こうすればとか、こちらが正しくこちらが間違いなどと考えていると道を間違ってしまう」と答えられました。そこで趙州和尚が「考えなくては、間違いが分からないではないか?」と食い下がると、南洲和尚は「道は無意識的にも意識的にも分かるものではない。人のものでも神のものでもない。無心に心の導くままに生活すればそれが道だ」と言われたと。つまり、現在の進めていることをこつこつと続けることであり、ほかの何ものでもないとのことです。(高田明和著・「禅の名言」より抜粋) これからも戴いたご縁を大切に努力を忘れない日々でありたいと願うものです。

 

(合掌)

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