雨を心配しつつ御行清掃の日

今日は、夏の御行清掃の日、梅雨末期の雨が心配でしたが、幸いにも、暑さでの熱中症に注意が必要な曇り空の一日となり、作業させていただくには最高の状態になってくださったと、ただただ感謝することでした。夏本番を控え、カンナ、ムクゲなど、準備万端です。そこへ、ヒメオウギスイセンが、我が意を得たりと、ゆったりと構えたようすが、美しさが際立つように感じてしまいます。 そして、位牌堂(旧本堂)の前の榧の木の枝卸しが主な作業でしたが、お同行さまの達者なチェーンソウさばきで、あっという間にスリムになってくださいました。類似のイチイの木(阿羅々木)ではないかとの説もあるとか、枝木を運んでいて、葉先がチクチクしなかったようにも感じたものでしたが、真実は(?)でしょうか。

 

親先生より 7月は、「老心(ろうしん)//慈しみの心、親が子を思うように、他の人を思う心である」といただきました。  2月のブログにも関係することですが、道元禅師の著された「典座教訓(てんぞきょうくん・食事を担当する修行僧の心構えを示されたもの)」に、「三心(さんしん)」の教えがあり、ひとつが「喜心」であり、二つ目が「老心」、三つめが「大心」であると…。

 

「…謂(いわ)ゆる老心とは、父母の心なり。譬(たと)えば父母の一子(いっし)を念(おも)うがごとく、三宝(さんぽう)を存念(ぞんねん)すること、一子を念(おも)うが如くせよ。貧者(ひんじゃ)、窮者(ぐうしゃ)、強(あながち)に一子を愛育す。其の志(こころざし)如何に。外人識(し)らず。父と作(な)り母と作(な)って、方(まさ)に之を識(し)る。自身の貧富を顧みず、偏に吾が子の長大ならんことを念う。自の寒きを顧みず、自の熱きを顧みず、子を蔭(おお)い子を覆(おお)う、以て親念切切(しんねんせつせつ)の至りと為す。其の心を発(おこ)すの人、能く之を識(し)り、其の心に慣(なら)うの人、方(まさ)に之を覚る者なり。然あれば乃ち水を看(み)、穀を看るに、皆(みな)子を養うの慈懇を存すべき者(もの)歟(か)。大師釈尊、猶(なお)二十年の佛寿を分(わか)って、末世(まっせ)の我等を蔭(おお)いたまう。其の意如何。唯父母の心を垂(た)るるのみ。如来(にょらい)全く果を求むるところなく、亦(また)富を求むるところなし。…」(典座教訓原文抜粋)

 

精進料理考(吉村昇洋著)には、次のようにあります。 「次に、『老心』だが、これは『老婆心』のことであると。『我が身を顧みず、深い悲しみから親身になって他者に関わる心』を言うと。料理をする者は、自分の料理を食べていただく相手だけではなく、食材そのものへの感謝や、丁寧に扱う心を忘れないことが大切であると。ポイントは、〝我が身を顧みず〟という部分で、何かの見返りを期待しないという姿勢が問われる。見返りを期待してしまうと、つい自分の都合のよいように相手を御してしまいそうであるが、それでは、自我が前に出過ぎてしまい、〝深い慈しみ〟はどこかへと追いやられてしまうと…。」  半年に一度の御礼清掃の日、見返りを期待しない感謝のこもった作業をさせていただきたいものと思うところです。そのためには、体調の管理も大切であり、高野山のご法話シリーズを聞きすぎて寝不足などならぬよう頑張りたいものです。

 

ところで、新型コロナのワクチンですが、2回目の接種が完了しました。2回目は、ダルさ、関節痛、微熱などあり、ほぼ1日休養でした。これで、バリヤー確保したとは思わないことにしました。第4波が到来し、その主たる勢力は、インド由来のデルタ株であるとのこと。今まで通りの消毒、マスク、三密を避けるなどの対策を続けていくことにする必要があると感じています。強力なワクチン、加えて治療薬の開発など、努力されている関係者の皆様にはこれまでにもまして心から応援させていただきたいものです。ウイルス禍の一日も早い終息を強く願って祈願するものです。

(合掌)

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