お彼岸・ご恩日

大型の台風が近づきつつある雨の日、雲の切れ間のお参りとなりました。お山には雲が懸かり、心なしか寒さも感じてしまいました。久し振り境内では、アミちゃん一家のお出迎えに喜び、大木の倒壊に憂うものでした。台風前に心配が顔を出しそうで、ともかくも、あの猛暑が嘘のような境内でした。

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親先生のご法話…。彼岸に入り寒いくらいで蝉の声もお休みである…と、こうした日々の移ろいも無常の世界を感じさせますと…。先生には、八月の猛暑、九月の残暑の中で、体重が3キロ減ったそうです。それは病からではなく、摂生が過ぎたとの思いであるとのこと。人の身体は、お不動様におすがりしていれば良いというものではなく、本人が不摂生をしていてはよくなることはないと…。

わたしたちは、日々、浄行をいただいておりますが、因縁というものは自分で作り上げて行くものであって、それには浄行によって悟っていただくことである…と、「おさづけ」の第五条にもあるとおり、浄行というものは奥が深く、一人ひとりのいただき方があり、「浄行とは何ぞや?」というところを、それぞれに感じながら…、目が見えること、耳が聞こえること、歩けること、食べられることなどに改めて有り難さを感じながら、一方では、思うようにならないこと、また、今回の千葉では、屋根が飛ばされ、壁がはがれ、停電が続くなどの被害がありましたが、そういう自然の中にあって、人間として慢心せず、有り難く自然とのお付き合いさせていただくこと…であると。

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親先生には、「悲感(ひかん)/痛みを知る。人は苦しんでやさしくなり、やさしくなって感動し、感動して成長する」と頂戴しました。私が初めて身内の不幸に出会ったのは祖父の不幸でした。長男で爺さまっ子でありましたから悲しみは格別でした。そして、父、母も他界しましたが多忙にまみれて悲しみに暮れるには至らずに済んだと記憶しております。それとは別のご縁を感じる人生の折々の出来事が、仏様とそのようにさせて戴きなさいと言っているように感じます。酒井大岳師には、「人間は苦しんでやさしくなり、やさしくなって感動し、感動して成長するものだと思う」とその著書(雲の上はいつも青空)の中でおっしゃっています。悲しみも悲しみで終わらせず、感動したいものです。そしてお同行さまと共に成長したいものと…。

(合掌)

管理人

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