水無月のご恩日法要

体調が今ひとつではありましたが、月始めのご恩日法要にお参りしたいとの思いが通じあってのことか、今日も清々しく、緑深まった境内のお山に優しく力強く迎えてもらっているように感じたものでした。

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水無月は、梅雨の花、アジサイが似合う季節ではありますが、まだ時期尚早のようで、蕾が固いままの花が多数みられました。たぶん、ひと雨降って、梅雨の入りを待ちわびているのではないかと思うところです。

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ご恩日法要をいただくにつけて親先生のお話しは、近々の大本山御廟参拝のこともあり、宗祖上人様のエピソードと言いますか日常言行の一端をご披露されました。

お上人様のもとへ来る信者の中には、貧しい者、不治の病を持つ者、悩みに進退窮した者などが大勢いましたが、お上人様は、そのすがる気持ちを察せられて、腹の減った者には食事を、お金のない者には帰りの旅費を施されてました。金銭を渡されるときには、相手の自尊心を傷つけないように、「あなたが元気になって、働けるようになり、返せるときに返せばよいのですよ」と、細かいところまでも気を配っておられました。中には初めから、大本山での食事を当てにして来る者もあり、徒弟たちは咎めようとしましたが、お上人様は、「ここへ来るからには、よほどのことです」と、徒弟たちをたしなめられ、食事の上に、旅費まで与えられていました。

そのため、宗祖上人様のお手元は、いつも乏しく、お上人様は、お同行様の食べ残しものを集め粥にされて食べておられました。特に、お釜の内に焦げ付いたご飯をかき集めお粥を作っておられるのを見て、「お上人様の釜こさぎ(こげを削り落とすこと)」と信者たちが呼んでいました。

また、信心深い信者さまが不治の病にかかられ、余命いくばくもない時、その病床を見舞われたお上人様は、「あなたの命は、何日のいつまでですが、決して心配することはありません。ありがたいことに、中山不動明王様と二十五菩薩様がお迎えに来られます。安心してお待ちなさい」と言われたと。その刻限になると、それまで昏睡状態であったものが、突然、目を見開いて笑みを湛え、「お迎えいただきありがとうございます。お供させていただきます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と息を引き取った。その時刻が、お上人様の予告と一致していたので、周りの人々は驚き、合掌したとのことです。

このようなお話しをいただくと直ぐに目が潤んでしまいます。それにつけても人様のためにわたしには何ができるかと考えるとき、数えるに余る病持ちのわたしとしては、全く肩身の狭いところです。御廟参拝についても、参加したいとは思いつつも、頂上のお不動様まで登れるか?とか、個人的制約を考えてしまいます。まずは、体調の回復に、そしてその体調に合わせたお行を願うことから始めつつ、これまでの反省をしたいものと思うものです。

(合掌)

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