一年間御礼清掃の日

雨と言う予報に準備はしましたが何とか昼過ぎまで持ち応え、うれしい気持ちのお掃除日和、落葉炊きの後も降り出した雨が消してくれて心配もなくならせてくれました。そんな中にあってお同行さまには奥之院から続く多くのお堂のそれぞれをお掃除され、感謝の気持ちでいっぱい・・・、体調不良を理由のやきいも番もままならないわたしの気持ちでした。

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つい、この間まで金色の葉に覆われていた銀杏を始め殆どの木々が灰色の枝幹を見せて寒そうにしていました。そんな中、もみじだけが、必死に頑張っているも葉の残りは少なく寒さを感じさせます。境内では、冬の主役、水仙や万両などが色を競いつつあります。そしてまた梅や沈丁花など春待ち顔でつぼみを少しずつ膨らませています。

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親先生の12月は、「閑古錐(かんこすい):長い年月が生み出す円熟味」と頂戴しております。静かに暮らす凡夫に見えて実は悟りに達するような人のことだそうです。円熟味では親先生でしようか・・・。静かではあっても、古い錐ではあっても丸く摺り減っているのでなく欠けたりひび割れたりしている私の古錐を感じさせます。

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白隠禅師の「毒語心経」には、「徳雲の閑古錐、幾たびか妙峰頂を下る。他の痴聖人たちを雇って、雪を担って共に井をうずむ」とあるそうです。閑古錐にはほど遠いものではありますが、〝井戸を雪で埋める〟まで及ばなくとも、無駄を承知で尽くしてみることは世知辛い日々には必要なことではないでしょうか。今年も残すところ僅かとなりました。まずは、感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。(追:お蔭さまで清掃作業中5日続いた持病の発作が回復しました。感謝。)

(合掌)

管理人

ご恩日法要

久し振りにご恩日に時間が取れ、お参りさせて戴きました。年金生活なのになぜか多忙で、ボランティアなどあるとはいうものの多忙すぎる・・・? 暖冬の今年ですが、境内のお山は、すっかり秋の色に染まって、今が見頃と競っているようでした。大銀杏の木も黄金色に輝いて最も美しい瞬間でした。

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山茶花は咲き乱れていますが、赤や黄色の紅葉たちに勝てそうもありません。しばらくして、白いものが落ちてくる頃の先には、ツバキなど咲ききそうのでしょうか・・・。

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親先生のご法話は、12月を迎えるにあたっての心構え…、思えばアッと言う間の一年間でした。ついこのあいだ、大本山より、新年のおさづけ‶直心発行〟と戴きましたが、今年は、どうであったと思いますか? 仏さまに向かい合えたでしょうか? 親先生にもなかなか出来ていない・・・と、懺悔することですと・・・。そして又、お行とは、常の行であって、日々の行いに試されるものと…。残る12月、どう生きるか・・・向かい合いたいものと。ただ、あわてて、転んで、入院などということでは、何もなせない。まずは、注意深くとのことでした。多忙な日々、よくよく見直してみたいもの…、そしてなによりも感謝の日々、安らかにあればと願うことばかりです。

(合掌)

管理人

 

植樹祭

今年は、暖冬とのことですが、暖かいながらも朝夕の冷え込みで、お山は色付き始めています。山懐は赤く染まりつつありますが、大銀杏の木やもみじなどはまだ薄緑色でした。それでも木枯しの季節の到来を予感させてくれる境内の草木です。

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今日は、親先生の呼び掛けで、植樹祭が行われます。植え付けるのは「姥目樫」で、その実(どんぐり)が山に住む動物たちのエサになり、 また、山を災害から守ることも期待され、将来は、良質の木炭としても利用できるなど、自然環境にやさしい取組みとして今後も守り育てて行くことだそうです。あちこちで文化祭や地域お越しが予定されている中、都合を付けて集まられたお同行さまは、急な斜面に注意を払いながら約50本の苗木を植付けておられました。

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親先生の11月のおことばは「歓喜心(かんぎしん)仏法(仏さまの教え)に出会い、その道を歩むことのよろこび」とあります。私ごとですが、仏さまに近くなったと感じたのは、四国に転勤し、お寺巡りをするようになってからでしたが、家内がお世話になっていた親先生との出会いが一層、仏さまの色々を知りたいなどと思う心を掻きたてるようになりました。歓喜心などというほどには値しないとしても「させていただく」ことによろこびを感じて日々を過ごさせていただいていることに感謝しているものです。  

(合掌)

管理人  

多忙を潜り抜けてお参り

年金生活ながら仕事もボランティアも少しずつではありますが、させていただき、多忙?な日々がつづいており、お参りも合間を潜り抜けてのことでした。10月は高野山へのお参りもさせていただき、その感激冷めぬままにお参りさせていただくお山は格別に見えました。

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秋が本格的となり、もみじが色づき、柿の実が今にも千切れ落ちんばかりに熟し、しゅうめいぎく、ジンジャーの花も対照的な美しさです。いつも心を和ませてくれる花などがあり、感謝するばかりです。

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親先生には今月、「無功徳(むくどく)見返りを求めない行いが良い行い。」と戴きました。善い行いをすることを功徳というそうです。ただし、その行いに下心があったのでは功徳とは言わないと・・・(渡會正純師 著:ほっとする禅語より)、昔、中国南北朝時代の梁の皇帝が仏教を保護し善き行いをしたので如何に大きな功徳があるかと問うと、問われた禅の開祖達磨大師は、どれもこれも功徳にならん!と一喝したとか…。善い行いをしても、自分から問いただす功徳は、功徳ではないと・・・。打算があったり、見返りを求めたり、人に知らせたりすると功徳ではなくなるそうです。心を込めてただたださせていただく・・・ことに努めたいものです。

(合掌)

管理人

高野山 奥の院 萬燈会

今週は、高野のお山に参詣させていただき、奥之院萬燈会にお参りさせていただきました。萬燈会は10月1日から3夜に亙って奥之院の燈籠堂で行われるお行で、高野山専修学院の修行僧の方々がお祈りされる声は美しく歌とも聞きほれることでした。奥之院に続く石畳や杉並木は数千とも思える燈籠に照らし出され荘厳そのものでした。

k1810_05 k1810_02 k1810_09 k1810_10 親先生のお若い時代の修行の場であられた普門院でその夜のお世話になりましたが、その上綱さま、親奥さまなど貴重なお話を伺うことができ一番の頂きものとなりました。道中の運転や様々なお世話を戴いた親先生始め皆様方にお礼申し上げるものです。

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(合掌)

管理人

乾期と雨期

西日本では、7月、8月と雨が降らず、一転、今月は雨ばかりです。温暖化もいよいよ亜熱帯化しているようですね。お山は早くも黄色く染まりつつあるように感じました。

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お彼岸を決して忘れない彼岸花が目を引きますが、まゆみやもみじまで実を付けていました暑くもなく寒くもなくやっと秋がささやいているようすを感じています。

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先生のお話も先ずは酷暑と長雨のことでした…。干ばつは2か月を超える長い酷暑でしたし、その後は台風も含めて大雨の連続でした。こんな時、先生の好きな詩の一節があるそうです…「心ひとつの置きどころ、晴れてよし 曇りてよし 富士の山・・・」と、自然は、人間に苛酷ですが、心の持ち方ひとつで 良くも悪くもなるものと学ばせて戴きました。…感謝。その心には、彼岸のご恩日法要、先生のお話もご先祖さま、そしてお同行様とのご縁のお話しでした…、大宇宙の中心たる大日如来が授けられたこの世に1200年前弘法大師が生誕され真言密教をおこされた。その弘法大師が夢枕に立たれた宗祖覚恵上人様は身ひとつで高野山を目ざされましたが奥之院近く中ノ橋下で倒れられ幸運にも津田實英大僧正に助けられて中山身語正宗を開かれたこと、また温泉津の酒蔵元の若林様始め篤信なお同行さまもあって瀧光寺が開かれることとなった。私たちはこれらの多くのご縁をいただいて今日がある。…そのご先祖様供養をさせていただくことでした。

親先生には今月、「以心傳心(いしんでんしん)心と心を結ぶ大切なもの」と戴いております。仏様の教えの真髄は、文字に書き表すことは出来ず、師から弟子へと心から心に伝えるのみであるそうです。親先生の口にされない心の中が読めるなどということになりますが、まだまだ何度もお話し戴いても届かないのが現在のわが姿だと諦め、少しずつ努力させて頂きます。

(合掌)

管理人

 

猛暑と干ばつ

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毎日、酷暑が続き、2ヶ月近く雨らしい雨が降りません。境内のお山は、清水が豊富ですが、それでも木々の色合いが褪せて見えるのは気のせいでしょうか・・・。

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花の数は減りましたが、実りの秋に向けて確実に準備が進んでいました。

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明日は、ご恩日法要、信徒会館には、季節の花が美しく活けられていました。

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親先生のお話し……、最近の話題となっている「尾畠さん」のこと、山口県の周防大島で行方不明の2歳の子供を救出し、マスコミの脚光を浴びておられるが、お礼など一切断って、「ボランティアは作業先に一切世話になってはいけない」と、昔のお世話になった恩返しであると、その心掛けを徹底しておられる…。その昔、伝教大師(でんぎょうだいし:最澄)は、「・・・、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」と語られたと。尾畠さんは、65歳まで魚屋をされていたそうですが、そこでお世話になった世の中に恩返しをと、ボランティアに残る人生を捧げておられるそうです。費用のすべては僅かな国民年金で賄っておられると。まさに慈悲の心そのものでしょうと…。そして、その日々の在り方は、「三衣一鉢」であると…。わたしも少しづつとボランティアさせて戴いてはおりますが、三衣一鉢にはまだまだ決心を沢山掻き集めなくてはならぬ模様です。

親先生の「8月のことばは、“無為(むい:まっさらな心に・・・)”です。無為とは、仏教用語で絶対に生滅変化しないもの・・・涅槃…などをさすそうですが、今年の暑さ(熱さ)は、心頭滅却して、無為となりたいものです。ともかく、一雨でよいのでお願いしたいものです。お山の木々も熱中症なのか色付きが早いように感じられます。

(合掌)

管理人

盂蘭盆施餓鬼法要~逆走台風の中で

東から西に進む逆走台風襲来の中、盂蘭盆施餓鬼法要そして成満たる百万遍法要が厳修されました。幸いにも境内たるお山が風を遮ってくれて台風通過中にしては穏やかではありましたが、幟旗はバタバタと音を立て、提灯は吹き込む霧雨に耐えていました。お山は、低い雲に隠れて夏らしくない景色を見せていました。

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親先生のご法話は、なが―いものでしたが、概略まとめてみました。まずは、台風ですが、お参りされた方には大変な嵐ではあっても、長い間この雨を待ち望んでいた人もいる…人間だけではない、動物や草木など水を得て大変な喜びでしょうと…。

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そして、盂蘭盆施餓鬼のお話し、お釈迦様の弟子、目連尊者がお母様のご恩に報いたいと神通力を使ってさがされると、なんと餓鬼道にあって骨と皮に衰えておられたと…、尊者さまは、なんとか救いたいとお釈迦様に相談されましたが、母の罪過はわが子への自己中心の愛情の深さが故であると…、その救いは、修行を終えられた多くの出家者の人たちに報いることだと説かれたそうです。目連尊者はそのようにされたそうです。この教えが盂蘭盆会のご先祖様供養となっているとのことでした。

なお、施餓鬼については、やはりお釈迦様の弟子、阿難尊者の話しがあるそうです。弘法大師様が持ち帰られた「仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経」にあると…。それは、焔口(えんく)という餓鬼から「おまえは三日の後に餓鬼になる」と言われた阿難尊者(お釈迦様の弟子)がお釈迦様に教えを乞うお話しで、お釈迦様は、「加持飲食真言(かじおんじきしんごん):ノウマク サラバタタギャタ バロキテイ オンサラバラ サンバラウン」を唱え、更に、各如来の名号、「南無理怖畏如来」、「南無廣博身如来」、「南無甘露王如来」、「南無妙色身如来」、「南無過去宝勝如来」を唱えると、僅かな食事でもむすえ無数の餓鬼を満足させ、また、各如来の功徳から、それぞれ餓鬼の苦しみから救われるそうです。餓鬼を始め多くの魂やご先祖様のご供養をさせていただいているものと有り難く感謝するものです。

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そして親先生には、宗祖上人様の生誕百五十年祭についてのお話しがあり、宝蔵比丘如来造立という記念事業への篤志について薄く広く参加していきたいとされました。お同行様共々参加させていただきたいものと思うものです。

 

(合掌)

管理人

 

猛暑の中の御行清掃日

つい1週間前までは豪雨災害を心配していましたが、一転して猛暑の毎日となりました。今日は、御行清掃の日ではありますが暑さ対策優先で作業させて戴くことになりました。熱中症に注意しつつも、境内の草刈、奥之院はじめ各お堂の清掃、位牌堂・お瀧場廻りの草刈・清掃、参道の急な箇所へのローブ張りなど多くのお同行さまが頑張っておられました。感謝です。

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猛暑の中で、お山も強い陽射し浴びて色褪せているようにも見えました。それでも山麓からは刈取った草など焼く白い煙が立ち上り、ほっとさせてくれました。

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今月の親先生からは、「放下著(ほうげじゃく):身も心も軽く自由になるにはすてること」といただいております。以前にも学ばさせて戴いたことでしたが、南宋時代の五家正宗賛(ごけしょうじゅうさん)の趙州和尚の章に出てくる話だそうです。

「ほっとする禅語(渡會正純著)」には、あなたは、名刺の肩書きが捨てられますか? 学歴が捨てられますか? 貯金が捨てられますか? との問いかけがあり、20種の薬を飲んでいた人が薬をぜんぶやめたら健康になったともありました。わたしも10種類服用中であり捨ててみたくなりましたが、はたして貯金は捨てられるでしょうか?。

人生は長い旅であって、みんな沢山の荷物を背負っていると…。「持ちきれぬ荷物の重さ前後ろ」などという詩もありました。捨てても生きていける人こそ本物であると。スッピンが素敵ですと…。坂本冬美さんの歌に「スッピン」というのがありますが、歌の文句じゃないけれど、せめて、裏表ない、悔やまない、思いつめない日々でありたいものです。

 

(合掌)

管理人

 

爽やかな風が心地よい~梅雨の晴れ間~

年齢を重ねると大変なのが病院通いです。お参りのこともいろいろと調整が必要で、やっと日曜日のお参りが叶いました。今日は、梅雨ということが嘘のような爽やかな快晴の一日でした。

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お山は、青々と夏山の姿で、境内では色とりどりの紫陽花が咲き、クチナシなどの花も咲き競っていました。

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聞けば先代先生様の御命日とのこと、お山の開創そして中山不動尊様にお導き戴くことなど元をたどればわたしにとっての始まりが先代先生様のお蔭さまであり現在があるものとただただ感謝の思いでお参りさせていただきました。

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今月の親先生からは、「自浄其意(じじょうごい):自らその意を浄くする」といただいております。以前にも学ばさせて戴いたことでしたが、「七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)」というお釈迦様を含めた遠い過去の仏様の時代からの仏教普遍の偈文の一部であるとのことです。七仏とは、毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏(しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃふぶつ)、拘留孫仏(くるそんぶつ)、拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、迦葉仏(かしょうぶつ)、そしてお釈迦様です。ところで仏様は長生きとのことで、阿含経の中に出てくる仏様の寿命は、毘婆尸仏が最も長寿で8万4千歳、以下少なくとも2万歳以上の長寿だそうです。その教えも永遠につたえられるのでしょう。その偈文は、諸悪莫作(悪いことはしない)、衆善奉行(善いことをする)、自浄其意(そして心は清らかに)、是諸仏教(これが仏教の教えです)、というものです。このことばに思うことは、お同行さまの花代えのお行、そして草刈、清掃など、お参りさせていただくたび整備されている境内を見るたびに、ありがたく思うものです。

親先生のお話では、ある篤信なお同行が「姥目樫(うばめがし)」の苗木を育てられ境内のお山に植樹したいとの話しがあるとのことです。実生から育てる手間はさぞかし大変であろうとのことでした。親先生には、秋には、植樹祭を計画したいとのことでした。先月の石楠花のエピソードに続くお同行様のうれしい衆善奉行のお話しにまたしても感謝です。

(合掌)

管理人