多忙を潜り抜けてお参り

年金生活ながら仕事もボランティアも少しずつではありますが、させていただき、多忙?な日々がつづいており、お参りも合間を潜り抜けてのことでした。10月は高野山へのお参りもさせていただき、その感激冷めぬままにお参りさせていただくお山は格別に見えました。

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秋が本格的となり、もみじが色づき、柿の実が今にも千切れ落ちんばかりに熟し、しゅうめいぎく、ジンジャーの花も対照的な美しさです。いつも心を和ませてくれる花などがあり、感謝するばかりです。

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親先生には今月、「無功徳(むくどく)見返りを求めない行いが良い行い。」と戴きました。善い行いをすることを功徳というそうです。ただし、その行いに下心があったのでは功徳とは言わないと・・・(渡會正純師 著:ほっとする禅語より)、昔、中国南北朝時代の梁の皇帝が仏教を保護し善き行いをしたので如何に大きな功徳があるかと問うと、問われた禅の開祖達磨大師は、どれもこれも功徳にならん!と一喝したとか…。善い行いをしても、自分から問いただす功徳は、功徳ではないと・・・。打算があったり、見返りを求めたり、人に知らせたりすると功徳ではなくなるそうです。心を込めてただたださせていただく・・・ことに努めたいものです。

(合掌)

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