杉花粉の一日

久し振りのご恩日のお参りでした。晴天ではありましたが、やや風も強く、少し寒い…そんな一日…ただ、花粉の飛び方は大変なものでした。今日は格別に花粉の存在が肌身をもって感じられたものでした。この前のお参りよりも、梅、あせび、山ツバキなど、今が盛りの花々が元気を与えてくれています。そして、コロナ禍につき、寒さに耐えての換気が行われ、百万遍(珠数繰り)では、手のアルコール消毒をし、更に薄い手袋をしての珠数繰りとなりました。

  

親先生の今日のご法話は、「坂村真民」氏の「二度とない人生だから」(「自選・坂村真民詩集」より)と、宗祖・覚恵上人さまのご遺訓との類似点についてでした。

先ず、坂村真民氏の「二度とない人生だから」は、次のようでした…(写真参照)

・二度とない人生だから一輪の花にも無限の愛を注いでゆこう一羽の鳥の声にも無心の耳を傾けてゆこう

・二度とない人生だからまづ一番身近な者達に出来るだけのことをしよう貧しいけれど心豊かに接してゆこう

・二度とない人生だから露草の露にも廻り合いの不思議を思い足をとどめてみつめてゆこう

・二度とない人生だから昇る日沈む日丸い月かけてゆく月四季それぞれの星々の光に触れて我が心を洗い清めてゆこう

・私が死んだら後を次いでくれる若い人達のためにこの大願を書き続けてゆこう (抜粋)

  

「この詩の中には、宗祖覚恵上人さま思い出させてくれるところがあります。」と、親先生。 上人さまは明治3年生れ。この4月にはご生誕150年法要が行われますが、コロナ禍で大本山のみで行われるとのことです。(役員・職員のみで行う)

「宗祖上人さまは、どんな人であったかというところで、坂村真民氏と共通しているところを感じる」と、親先生。

上人さまについて、親先生には、次のように紹介されています。

・例えば、ある人から「他人を導けるようになるには、どれほどの行を積んだらよいか」と、尋ねられたところ・・・・・「自分の真似をしなさい、と言えるまで行をしなさい。自ら苦労しない者には衆生を助けることは出来ません」と、体験をして、そこで得たものこそ、本当に衆生を導けるものです…と。

・「み仏から心を授かるためにはどれほどのお行を積まなければならないでしょうか」との問いには、即座に「死ぬまでです」と答えられたと。「他人がいいものを着ていると、自分も着たい、他人がうまいものを食べていると、自分も食べたい」などの人間の欲は死ぬまで離れないからであると。

・お山(本山)での食事は極めて粗末なもので、粥が多かった。それは上人さまも同じものを食べておられたが、その食事に不満をいだき、缶詰など持ち込むものも多かった。そんなとき、上人さまは、「美味しいものは料理屋でたべるとよい、ここは修行の場ですよ」と諭されたと。

  

・お山は、杉や桧の銘木が育っていますが、苗木の手入れに行こうとされている上人さまに、「そのような仕事は代わりの者にさせてはいかがですか」と問われると、「これは子どもの教育と同じことです。立派な人に育てるためには良い教育が必要で、同じように良い木を育てるためには良く手入れすることが大切です。如来大悲は、まこと一つが目当てです。まこと一つを間違えなければ信仰は、野原でも出来るものです。あなたの目の前にある石ころが、私の手入れしようとする苗木が、仏さまなのですよと、諭されたと。

坂村真民氏の詩には、仏さまに通じるものを感じていますとも親先生のお話しにはありました。

  

明日からは、桃の節句の季節、新型コロナウイルス感染症対策は、いよいよワクチン接種が視野に入るまでになりつつあります。数多の病持ちとしましては、副作用などの心配が少ない、新薬や更なるワクチンの開発などに英知を集めて頑張って頂きたく願うものです。

(合掌)

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