年も新たまりまして、この月末、新春初護摩供祈願祭が厳修されました。境内は流石に寒々としており、祈願祭は、新型コロナに行動が制限されて以来の「護摩をいただいてそのまま帰路についていただく」方式になって数年が経過しており、御札を求めいただくのも「郵送」の方が多くなりつつあります。 親先生より、新年は、円相(まるは宇宙でもっとも美しい形。大切なのは、初めからまるいのではなく、修行によって「まる」くなること)」と、いただきました。
今月は小学館の仏教辞典を開いております。一円相ともいうとあります。禅の第一義を示す手段として、払子(ほっす)や如意、手指で空中に描いたり紙に墨書され、墨跡として珍重されたりする円形。禅の機関のひとつ。その形は円満無欠を意味し、心性の平等性、真如・仏性などの象徴とされる。中国中唐の南陽慧忠(なんようえちゅう)や馬祖道一(ばそどういつ)のころから盛んに用いられ、仰山慧寂(ぎょうざんえじゃく)は、その働きに九六種ありとし、さらに、円相(仏法そのものを示す)・義海(種々の三昧を含む)・暗機(対立が起こる以前のはたらき)・字学(仏法そのものを示す)・意語(宗薏を語っている)・黙論(そのままで宗意にかなっている)の六義にまとめる。
もう一点、禅の智慧・ものしり辞典(高橋浩著・NHK中央研究所など歴任)によりますと、悟りの境地を簡潔に表す一手段として描く円のことを「円相」という。と、あります。
特に変わった円ではなく、幼児でも描けるただの円である。だが、ただの円だからこそ、本人の悟りの境地が如実にあらわれると、…。禅では、「不立文字」※悟った境地は、文字では表せないと言う。心の中の文字、態度の中の文字に引きずられがちである。しかし、円を描く行為には文字は入り込めない。雑念がある者、何かにとらわれている者は、自分が描いた円を見て驚くであろう。図にも雑念があるのであろうか、……と。
(合掌)
(管理人)